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17 老人介護 ただならぬ事態 (3)

 「労る(いたわる)」は「ねぎらう、慰める、大切にする、ねんごろに扱う」ほどの意であるが、根っこにあるものは親切であり、やさしさであろうか。「無償の奉仕」など安っぽくてためらう世界だ。打算や損得勘定がなく、恩着せがましさが微塵もない。

火種の持つ重みと暖かさ

 山眠り火種のごとく妻があり
 とっぷり暮れたっぷりけんちん汁盛らる
     (村越化石)

 労わり合う姿は世代、性別を超えて、どんな場合でも美しく微笑ましいのだが、老境にある夫妻であるときは殊のほかだ。俳人・村越化石氏は視力を失っておられる由だが、見えぬがゆえに研ぎ澄まされた感性には、曇りがなく冴えているというより、火種のような暖かさがある。

 「とっぷり」と「たっぷり」は絶妙の組み合わせだ。その中を凡にして凡にあらず、気負いのないゆったりした時間が流れている。蜩(ひぐらし)が鳴いている気配が漂う。老夫妻の生き方には、こせついたところがなく、けんちん汁から立ちのぼる湯気をはさんで、互いに信頼し切っている暖かさがある。火種は小さくとも、その赤い塊は一家の拠(よりどころ)として盤石の重みがある。

 次の句からも化石の句の世界に共通する思いが伝わってくる。

 水澄むや父の遺したメダカたち (忠順)

 「父さん」と呼んでみる声がやさしく水面に揺れている。

 山茶花や妻をたよりの昨日今日 (忠順)

 いままでも、そして明日もこれからも。妻もまた夫をたよりの明け暮れ。

 朝顔や妻老いたれば我も老ゆ (岡崎正宏)

 朝顔を愛で、夕日を仰ぎ、こうして幾日幾年を重ねてきたことか。老境にあることをあらためて思う昨日今日。

 慰める言葉もなく...
 痴呆なりし妻の今際(いまわ)を
 訥々(とつとつ)と語りし友の
 不意に号泣す
     (伊藤紫苑)

 「今際」は死にぎわ、最期。親しき友の前ならばこそ。わがために尽くしてくれた妻よ。堰を切ったように-。

 あなたよりわたしがさきに死ぬだろう
 病む妻いえり死なせるものか
     (松井 恵)

 死期を悟る妻。自らに「死なせてなるものか」と檄する夫。張りつめた緊張感が病室に流れている。

 「先に惚(ぼ)けた方が勝ちね」
 と冗談に空怖ろしきことを言う妻
     (林  昇)

 「先に逝きたい」と本気とも冗談ともつかぬ会話を聞くことがある。取り残される孤独と淋(さび)しさに勝てないと言うのである。「妻より先に逝きたい」というのは男(夫)たちの本音のようだ。

 認知症の親をあやめし記事さびし
 呆けたる母と十年くらす
     (飯塚哲夫)

 こんな場合、飯塚さんになんと声を掛けたらいいのだろう。思いつくのは慰めにもならない、ありきたりの言葉ばかりだ。

 ここで二つの話を紹介したい。その一つ。こんな便りをいただいたことがある。「私の場合は義母を自宅介護で3年、つとめてやさしく接してきました。最後は寝不足がつづき私が先に...という思いがありました。荒らげた声を出さなかった自分に納得しています」

 その二つ。川端康成の処女作品に『十六歳の日記』がある。康成は幼時に両親を失い、少年時代の10年を祖父と二人で暮らす。16歳の時、祖父が死ぬ。机代わりの踏み台に蝋燭(ろうそく)を立てて書いたのが看(み)取り日記だった。中学生の男の子が一人で祖父を介護したのである。
(2010年12月11日号掲載)
 
美しい晩年