記事カテゴリ:

10 監督たち 〜個性豊かな出会い 演技力引き出され〜

10-kuraishi-0101p.jpg 映画の撮影ではいろいろ失敗もしました。2作目の原田治夫監督の『若い樹々』では、姿美千子さんと言い合いしながら自転車ごと川に落ちるシーンで、テストなのに本番と思い実際に落ちてしまったんです。ジーパンの色が変わり、撮影ができなくなり怒られました。

  同郷の瑞穂春海監督
 長野でのロケ作品が瑞穂春海監督の『黒の死球』です。瑞穂監督は善光寺の院坊の長男でした。後に節分で善光寺に行った時、袈裟を着た監督にお会いして懐かしかったです。スタッフは宿坊、僕は実家から通いました。

 同郷だからと甘やかさず、逆に厳しく接してくれた監督でした。元々松竹で何本も映画を撮られていたベテランだけに、僕の技量を見抜いていたんだと思います。納得のいくまでテストが続き、本番でも良いシーンが撮れるまで何回も繰り返しました。細かい演技指導はありませんでしたが、役者をリラックスさせて撮るタイプの監督でしたね。ただ「良かったよ。ハイ、もう一回」と言われるのには困りました。

 高校野球のピッチャー役だったので、大毎オリオンズのスター選手だった小野正一投手がピッチングコーチとして来てくれましたが、サウスポー役のためうまく投げられなかったので、カット割りで上手に撮ってくれました。故郷でのロケは見物人に知っている顔が多く、照れ臭かったですね。

 『痴人の愛』で出会ったのが増村保造監督です。東大出の優秀な監督で、すごく恐い印象がありました。というのもデビュー前、大勢の刑事役の一人として監督の作品に出演しかけたことがあるんです。メーキャップをし背広を着て撮影現場に行ったものの、僕を見るや「こんな若造の刑事がいるか! 誰がよこしたんだ!」と怒鳴られ追い返されました。高校を卒業してまだ8カ月、18歳の僕は子どもっぽく見えたんでしょうね。幻のエキストラ体験です(笑)。

 撮影が始まると僕と安田道代さんがやり玉に上がると思っていましたが、何も言わず自由にやらせてくれました。普通は「こいつのために中止だ」と言うらしいのですが、その場の緊張を高めるために言っていたようで、怒られ役は決まって、監督の作品で常連の潮万太郎さんでした。当時はテストを十数回やって本番になるんですが、NGテイクが進む度に監督のハンチングがどんどん回り、回転してまた正面に戻ってくるのを見ました(笑)。

 「長野のマグロ!?」
 演技の力を引き出してくれたのは『高校三年生』の井上芳夫監督でした。増村監督と同期ですが、とにかく口が悪く、デビューしたてでまだ芝居が分からない僕を「長野のマグロみたいに生きが悪い!」とよく怒鳴られました(本当は長野のマグロだって生きがいいんですがね)。僕も頭にくるとテンションが上がり、そういう時の演技はうまくできたので、それを狙って怒っていたのかもしれません。

 優秀な監督で記憶にあるのが『制服の狼』の弓削太郎監督です。優しいんですが長回しが好きで、懇切丁寧に説明してから撮るのが舞台みたいで大変でした。15分を1カットで回すこともありました。失敗すると怒るのではなく「今のNGはフィルムが30フィート回ったから15万円だぞ」と、随分プレッシャーをかけられました(笑)。

 宮本壮吉監督は人間国宝の陶芸家・宮本憲吉さんのご子息です。自宅でロケをした時は、何百万円もの高価な作品がその辺にポンと置いてあり、スタッフが価値を知らずに乱暴に扱うので割ったりしないかとハラハラした記憶があります。個性的な監督たちとのさまざまな出会いは、面白く有意義でしたね。
(聞き書き・西沢よしえ)
(2011年1月1日号掲載)

=写真=長野でロケした『黒の死球』

 
倉石功さん