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11 先輩スター(上)〜大映2枚看板で活躍 市川雷蔵と勝新太郎〜

11-kuraishi-0115p.jpg 昭和30年代に大映の2枚看板として活躍されていたのが、市川雷蔵さんと勝新太郎さんです。
 僕がまだデビュー半年のころ、プリンスホテルで毎年行われていた「市川雷蔵ファンの集い」でお手伝いをしたことがあります。シャイな性格の雷蔵さんが、ゲームでトイレットペーパーでグルグル巻きにされるのを見て意外に思ったものです。

 口を開かないと一見怖そうですが話すと気さくで、一緒に食事にも連れて行ってもらいました。役柄ではニヒルでクールなイメージですが、メーキャップをしていないと全く気づかれないほど。勝さんの言葉を借りると、銀行員のような目立たない男。しかし撮影に入ると、とてもきれいで魅力的な人でした。

 流れるような殺陣
 東京撮影所がストライキのため、高田美和さんと共演の『青いくちづけ』は京都撮影所で撮ることになり、雷蔵さんと再会しました。立ち回りを覚えるのが早く、日舞をされていたせいか流れるように美しい殺陣でしたね。

 雷蔵さんには変わった癖があって、自分が気に入るとたたいたり、立ち回りでは帯にきちっと刀を当てたりするんですが、嫌いな人には絶対当てずにスッと抜くんだそうです。僕はボディービルでトレーニング中に雷蔵さんがやってきて、「おっ!いい体してるなぁ」と、いきなり胸をたたかれビックリしたことがあります。「気に入られているよ」と周りから言われましたが、手荒なスキンシップが雷蔵流ということでした。

 雷蔵さんは歌舞伎役者から映画俳優に転身した、生まれながらのスター。それに対し、勝さんは長唄・三味線の杵屋(きねや)からの転身で、表舞台に出られない裏方の悔しさを十分肌で知っていた人でした。意外ですが、二人は信頼し合った親友だったそうです。『花の白虎隊』で共演した時、すでにスターだった雷蔵さんと、自分との待遇の違いに現実を思い知らされた勝さんですが、素顔では目立たない雷蔵さんが、扮装して出て来た時のあまりに凛々しく美しいたたずまいに、気おされてしまったそうです。

 当時、勝さんは長谷川一夫さんを目指して雷蔵さんに次ぐ位置にいましたが、同じ白塗りでは太刀打ちできず、自分の当たり役を物にしたいと、すごい気迫でした。歌舞伎で見た「不知火検校(しらぬいけんぎょう)」こそ自分の役だとほれ込み、企画を持ち込んで映画化しました。そして「座頭市」で人気を確立しますが、その裏には苦労した時代があったということです。

 財布に200〜300万円
 「スターは夢を与えるのが仕事。せこせこするな」が勝さんの教え。常に200〜300万円が入った財布を持ち、取り巻きを大勢引き連れて飲みに行っては、レミーマルタンをアイスペールに空けて回し飲み。いたずら好きで、新メンバーにはチンザノをかけたご飯を食べさせたり、豪放磊落でちゃめっ気たっぷりな人でした。グループの結束力は固かったですね。僕も自腹ではとても行けないような料亭に連れて行ってもらったり、かわいがってもらいました。

 勝さんは他社のトップスターだった石原裕次郎、中村錦之助、三船敏郎さんとも兄弟分の仲で、4人で飲んだりしていたそうですが、かなり裕ちゃんを意識して、車でもなんでも張り合っていました。

 「俺は500万稼いだら600万使うんだ。すると次に700万の仕事をやる気になるんだ」という経済観念の持
ち主だけに、夫人の中村玉緒さんのギャラまで使ったなんて逸話を残しています。「役者ばか」という言葉が当てはまる、今の時代にはいない豪快な人でした。
(聞き書き・西沢よしえ)
(2011年1月15日号掲載)
=写真=トイレットペーパーで巻かれた市川雷蔵さん

 
倉石功さん