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08 〜失業対策事業で展望道路建設

33-kyoudoshi-0205p.jpg 丸山市政3期目は1930(昭和5)年4月から始まり、この時期は昭和の大恐慌が進行する時期でありました。この昭和恐慌によって、全国で最も大きな打撃を受けたのが長野県の経済でした。

 アメリカの恐慌の影響が、生糸相場の暴落となって蚕糸業中心の県内経済を直撃。その結果として失業者が増大し、深刻な社会問題が発生しました。これに対し、県は救農土木事業と道路交通整備を積極的に進めることによって経済を振興させ、失業者を救済しようとしました。

 長野市でも、県道整備に並行して都市計画との関連で市道整備に力点を置いて失業対策に取り組みました。

 現在、上松の展望道路北入り口近くに丸山市長の書になる道路竣工を録する記念碑が立てられています。その裏面には次の文字が刻まれています。
  地元負擔(ふたん)金
  三千六百四十四圓
 県道二ノ倉線
 起工 昭和五年七月
 竣工 昭和八年四月
  地元負擔
  三千九百三十七圓
 吉田上松線
 起工 昭和七年八月
 竣工 昭和八年四月
 展望道路
  地元寄附金
   五千五百十七圓
 起工 昭和七年十一月
 竣工 昭和八年四月
 相談役
    池田宇右エ門
 委員長 上田雄次郎
 副委員長 岩崎政治
 委員長  原憲太郎
 両線会計 山上廣田
 区長  上田雄次郎
 区長代理 岩崎政治
 昭和九年三月建之  
  上松區

 この碑文によると、展望道路は32年の失業対策事業として改修されました。32年11月に起工し、幅員8メートル、延長3310メートルで、33年4月に竣工しました。

 起点は狐池で終点は上松。途中、往生地、しぐれ沢、歌が丘、花岡平などを通過し、二之倉線・吉田上松線につながり、眺望が良く市民に親しまれました。この建設による失業救済人員は、延べ6万4793人に上ったといわれています。
(2011年2月5日号掲載)

=写真=上松にある竣工記念碑