記事カテゴリ:

09 〜不況下でも積極的に投資〜

34-kyoudoshi-0212.jpg 丸山市政の初期、大正期の後半は第1次世界大戦後の好景気の恩恵を受けて財政にはゆとりがありました。しかし昭和に入り、事情は一変します。1928(昭和3)年の市の生産総額845万6000円に対し30年は499万7000円に転落し、1戸当たり平均所得も860円から661円に落ち込みました。

 これは市財政にも直接反映し、3期目を迎えた31年の予算総額は89万1000円で、ピーク時26(大正15)年の137万6000円と比較して48万5000円の減額となりました。約35%の減額です。

 このような苦境にありながらも、丸山市政は30年に柳町小学校を19万7000円かけて建設し、市営プール(3万1000円)を山王に新設しました。さらに31年、城山の堀切北(現市城山動物園の地)にあった火葬場を太田地区(東和田の現長野運動公園)に移転改築(3万2600円)、33年には展望道路(10万8000円)を完成。さらに17万円を投じて、大正町・新田町線(昭和通り)の改修を実施しました。この年はかねてからの長野市の都市計画に基づき、鶴賀10万坪、中御所7万坪の区画整理を断行したことなど、その進歩性が評価されました。

 丸山市政で特徴的なこととしては、市の発展のために外郭団体への助成を積極的に行ったことも挙げられます。それを列挙してみます。

 (1)市営球場の建設 
丸山市長を会長とする長野市体育協会が醵金(きょきん)して設立、これを市営にした
 (2)長野電鉄に対する援助 市から20万円の助成金を出して長野への電車敷設に成功し、近隣町村との合併に成功
 (3)村山架橋に協力
市から2万5000円を助成
 (4)県立図書館の建設
地元寄付金として22万円を納入
 (5)日赤長野支部病院改築 地元寄付金5万円
 (6)県立女子専門学校建設 地元寄付金10万円
 (7)善光寺平用水組合補助 3万5000円

 その他、商工会議所新築補助、丹波島橋架橋地元負担金などを支出し、直接、間接に市の発展に結び付く事業を援助しました。
(2011年2月12日号掲載)

=写真=城山に造られた市営球場