
千曲市八幡(やわた)の武水別(たけみずわけ)神社八幡宮(はちまんぐう)は善光寺平のパワースポットといえよう。社名の「別」は京都の石清水(いわしみず)八幡宮から分祀(ぶんし)された意味。もともとこの地域は石清水の荘園だった。千曲川が運んだ豊饒(ほうじょう)な泥土でお米がたくさん取れ、石清水の財政を支えた。
今日、年間80を超える神事の中でも、ハイライトは春の御田植(おたうえ)祭と9月の中秋大祭で、12月の新嘗祭(にいなめさい)=大頭祭(だいとうさい)はユニークで国の選択無形民俗文化財に指定されている。
五穀豊饒がメーンの御利益だが、八幡神は聖武(しょうむ)天皇が東大寺大仏を建立した時の守護神だった。その功績で八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の尊称を贈られた。菩薩は仏陀(ぶっだ)に次ぐ地位で、本邦初の神・仏パワーとなった。

高田在住の元鍼灸(しんきゅう)・マッサージ師の宮澤朋平さんには、こんなエピソードがある。戸隠の農家だった宮澤さんは20代半ばで失明。一念発起して都内の国立訓練施設で5年がかりでマッサージ師の資格を取った。
昼の勉学に加え、夜半のアルバイトは渋谷一帯。酔客相手に疲れた女性たちを揉(も)みほぐして稼ぎ、戸隠の父母と妻子に仕送りをした。想像を絶する労苦を支えたのは「十二大明神(みょうじん)」信仰だった。
「十二大明神は、私の先祖が八幡の八幡さんから勧請(かんじょう)したと聞いています。どんな神さんか調べていただけないか」というご依頼が私にあった。
神道辞典や権威書に当たり、神社にも問い合わせたがさっぱり分からない。新年早々、混雑する境内を探索した。その結果、本殿の裏に「十二神」があるのを見つけた。

「実は神社の近辺に十二権現(ごんげん)(仏が化身した神)さんを信仰している家があり...八幡さんで面倒をみてほしいという申し出があって、ここに祭った次第。明治のころらしい」と、お札売り場の神職が教えてくれた。境内にたくさんある摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)の一つで、同神社では「十二神社」とか「十二社」と呼んでいる。
推測だが、宮澤さんの先祖は地元へ八幡さんを勧請する時、屋敷神として「十二神社」を招き、分かりやすく「十二大明神」としたらしい。後年、子孫の苦難を救ってくれた守護神になった...。
八幡神の威力恐るべし。本殿の北裏には神武、天神、東照宮(家康)、金毘羅(こんぴら)さんまで鎮座していて、そのパワーに圧倒される。
(2011年1月29日号掲載)
=写真上=十二神の名札が並ぶ本殿裏の神殿
=写真下=初詣客でにぎわった広い境内