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111 飯縄神社 〜全国に数百 飯縄山が総本山〜

 近年、東京では高尾山(八王子市)ブームで年間300万人近い登山者があるという。フランスの「ミシュラン観光ガイド」で最高ランクの三つ星に選定された影響だ。「世界一登山客の多い山」といわれ、世界遺産登録の話も出ている。

 「標高たった599メートルの小山が、どうして国際的にも有名に!?」
111-rekishi-0226p1.jpg 山頂の飯縄大権現を祭る薬王院(やくおういん)の万能な御利益と、聖地が育んだ1300種を超える豊かな植物相、古樹林が有名。長野市内からも日帰りのバスツアーが人気だ。

 「あの、長野市の飯縄山(1917メートル)と関係があるのですか?」
 あるもないも、こちらの飯縄山が飯縄権現信仰の総本山なのだ。毎夏の「飯綱火祭り」の前日には、高尾山から20人近い神職が遠路参内。白衣の山伏姿で山頂に登り、祈りを奉げる。

 111-rekishi-0226p3.jpg総本山や本社が閑古鳥で、末寺や子会社の方が景気の良い例はあまたある。権現の姿は、霊獣・白キツネに乗った烏天狗=写真。右手に降魔(ごうま=悪を切る)の剣、両腕に小ヘビ、光背には火炎...。空を駆け、魔法を使い、邪悪を切るスーパー妖怪なのだ。平安時代以降、山岳修験者の信仰と妄想で発達した。

 足利義満は飯縄権現に祈願したら病弱が治り、室町幕府の全盛を築いた。武田信玄は山伏を戦略諜報員に多用。上杉謙信も飯縄権現に帰依して、兜の前立ち(=シンボル)にした。

 戦国時代には戸隠忍者と共に武将に重宝され、伊賀忍者の源流となった。透波、乱波、間者は、伊賀の薬売りを装い忍びの者となる。講談の猿飛佐助や霧隠才蔵、服部半蔵、百地三太夫などの先祖だ。

 幕府隠密・お庭番、立川文庫も「イイヅナ」がなければ成り立たない。奇怪な姿をした飯縄権現は、さまざまな俗信、迷信、妄信を背負って全国に広がった。関東が多いが、東北から鹿児島まで少なくとも数百社ある。

 さて、こちら信州の飯縄信仰の概要は...。
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 山頂の本殿は石造り。登頂には健脚でも2時間ほどかかるので、麓の荒安(あらやす)集落に里宮がある。それも冬場などは参拝できないので、信者の便宜を図り長野市街の真ん中、三輪田町に分社の飯縄(綱)神社=写真=がある。

 「祭神は保食命(うけもちのみこと)で実際は鏡です。明治初期、本宮で修行した方が分祀(ぶんし)した。現在の氏子は300軒ぐらい」。近くに60年余住む郷土史家・北村俊治さんの話だ。町場の権現さんは、もっぱら食物・五穀豊穣の役らしい。

111-rekishi-0226m.jpg=写真上=総本山の飯縄山山頂(昨年12月撮影)

 
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