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16 ザ・ガードマン(下) 〜若さでアクション 7年間続き達成感〜

16-kuraishi-0219.jpg 「ザ・ガードマン」で僕が演じたのは、メンバー最年少の杉井隊員です。役別のパートがあって、僕は子ども係とアクション。藤巻潤さんもアクション。女性が絡むちょっと色っぽい話は川津祐介さんと神山繁さんが受け持ちでした。

 僕の決めぜりふは「了解!」。その後はひたすら走る走る。「ヘリコプターより速く走れ!」とハッパを掛けられ、昼食のカレーのゲップが出そうになるほどでしたよ(笑)。

メチャクチャな撮影
 走っている列車から飛び降りたり、ヘリコプターにぶら下げられ、高度100メートルまで上がった時は、「このまま手を放せば死ぬなー」と思いましたね。車のボンネットから犯人に飛びかかるシーンで、下にいるはずの悪役が怖くなり、避けてしまったため顔面から落下。何針か縫いましたが、けがの上にドーランを塗って撮影続行なんて、メチャクチャでした。

 アクション俳優といわれた時期でやらざるを得ませんでしたが、保険にも入っていなかったんですよ。

 海底8メートルの岩に縛られた僕が、川津さんに助けられるシーンの撮影では、川津さんが持ってきた酸素ボンベから全然酸素がこない。窒息寸前で必死に浮き上がりましたが、後から酸素が残っていないボンベだったと分かりました。

 山育ちで泳ぎが得意ではないのに、海でロープを担いで1時間以上泳ぐシーンでは、溺れ死ぬかと思いました。一歩間違えば危険な事もよくありましたが、スタントマンはほとんど使わず吹き替えもなし。倉石ならできるだろうと思われていたし、自分で演じるのが自慢でもあり、若さで乗り切った部分もありますね。他人ができないことをやるのも、男の冒険心で快感ではありましたが(笑)。

 昭和40年代は日本経済の成長期で、KLMオランダ航空とのタイアップで海外ロケも多かったですね。オランダ、イギリス、フランス、ポルトガル、スペインなどのヨーロッパやハワイにも行きました。

 当時はまだヨーロッパでも貧しかったポルトガルやスペイン、またモロッコなどで大変な思いをしたのが、「マネー!マネー!」と寄って来る子どもたち。ところが翌年行くと、日本語で「こんにちは」と言ってから「マネー!」。日本人がすごいスピードで世界中に進出していると感じました。

 モロッコではエキストラ30人に前金で出演料を支払ったところ、翌日全員姿を現さないなんてハプニングもありました。現地ガイドに「お金を使い切るまで来ないよ」と言われ、びっくりしました。

パリでは隠し撮りも
 フランスはユニオンが強く、撮影するためには現地のスタッフを雇用するなど厳しい制約がありました。莫大な費用がかかるため、制作費の関係で隠し撮りなんてこともしたんですよ。凱旋門の前で警官がいなくなるのを見計らって、バッグに忍ばせたカメラで素早く撮影。斬新でリアルなカメラワークの裏には、こんな事情もあったんです(笑)。

 ロケ中に和食が恋しくなり、パリの日本レストランで注文した親子丼の値段が2500円! まだ1ドル360円時代の思い出です。

 撮影時間が長く、家族や友人といるよりも、出演メンバーと過ごした時間の方が多かった7年間でした。最終回はオランダロケで締めくくりましたが、寂しさよりも達成感の方が強かったですね。アクションだけでなく、ほかのジャンルにも挑戦したいという気持ちも芽生えていました。

 僕にとって「ザ・ガードマン」は芸能生活の中で大きな存在となっています。
(聞き書き・西沢よしえ)
(2011年2月19日号掲載)

=写真=頻繁に行われた海外ロケ
 
倉石功さん