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26 アメリカ ピオリア 〜日本に恩返し 夫妻の世話に〜

26-kaigai-0205m.jpg あるアメリカ人夫妻が50年にわたり、無欲で日本人の世話をしている。きっかけは、第2次大戦後、駐留軍の一人として日本に派遣され、横浜と青森・三沢基地にいる時に受けた地元の人々の親切に感激したことだった。

 いつか恩返しを-と思っていたとき、中西部の小さな町に相次いで日本企業が進出。文部省(当時)や東京都の海外教育派遣団などがやって来たことから、夫妻の長期にわたる恩返しが始まった。

 デニス・L・ゲイニーさん(82)。彼が長年住んできたのは、穀倉地帯で知られる中西部のイリノイ州中央部にあるピオリア市。大都市シカゴの南西にある。この州は別名"リンカーン州"と呼ばれる。大統領になる前に州都スプリングフィールドでリンカーンが弁護士や国会議員として活躍した本拠地で、伝統的にリベラルな考えが強い。

 ゲイニーさんは日本にいた3年の間、美術館の案内や磯釣りの手ほどきを受けるなど、三沢市の農家の人々に親切にしてもらったことが忘れがたかった。帰国後は教員になり、20代で教育博士号を取得。29歳の若さで校長になった。

26-kaigai-0205p.jpg そのころから、日本企業の進出が始まる。藤沢薬品、重機械のKOMATSUなど。家族でアメリカに赴任した日本人家族の不安を和らげようと、家に招待したりした。そんな姿に妻のメアリーさんも「自分に何ができるか」と自問した末、独学で日本語を習得。現在では俳句をたしなむほど上達している。

 私が、ゲイニーさんと出会ったのは、1982年秋。この時、私は35歳。文部省教育海外長期派遣団第22団の渉外係(通訳)として、ヨーロッパとアメリカを1カ月視察した時だった。彼は当時、ピオリア市の教育次長。私たちの市内学校視察に同行し、さまざまな配慮をしてくれた。1週間、メアリーさんも付き添い、日本全国から集まった35人の教員全員を家庭に招待してくれた。希望者には、休日を利用してスプリングフィールドまで車で案内するほどだった。

 ゲイニーさんと私は帰国後も連絡を取り合い、3回にわたって私に同行した高校生や私の息子の世話をしてくれた。3Aマイナーリーグのナイターやイリノイ川のクルーズ、いまだに電気や車を使わないアーミッシュの村や開拓時代の遺産があるニューセイラムの村や高校など、夫婦で数えきれないほど案内してくれた。

 藤沢薬品の日本人社員は夫妻を「今の日本人にはいない、昔の日本人的なアメリカ人」と評した。私たちもささやかな"お返し"をした。2回にわたって来日した折には、日光への案内や長野、諏訪でのパーティー、そして40年ぶりに三沢基地にも足を延ばしてもらった。立山や能登半島、京都にも行った。

 ゲイニーさんは、感激するメアリーさんを見ながら「日本人と知り合い、妻も独学で日本語を続けてきて、つくづく良かったと思っている。ただ、メアリーは"日本人には悪い人がいない"と思っているのが、少し困ること」と笑う。
(2011年2月5日号掲載)

=写真=長年、日本人の世話をしているゲイニー夫妻

 
私の海外交友記