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18 一人息子 〜サッカーで青森へ 今はデザイナーに〜

18-kuraishi-0305p.jpg 結婚した翌年の3月6日、東京で雪が舞った日に一人息子の一樹(かずき)が誕生しました。

 正直、若いころはあまり子どもは好きではありませんでしたが、長兄の子どもが生まれてから、泣き声も全然気にならず、なんてかわいいんだろうと思いました。よく孫は目に入れても痛くないといいますが、僕は自分の分身である息子はそれ以上の存在と思います。

 名付け親は宇津井健さんで、僕の好きな樹の字を入れてもらいました。まだ紙おむつは高価でしたから、母親が用意してくれた長野直送の布おむつと併用でした。僕もおむつはよく替えましたよ。ある時、ベビー服に付いていたボタンを飲んでしまったらしく、しばらくしておむつの中に発見した時はびっくりしました(笑)。

子どもたちとチーム
 一樹は病気もせずに、元気で強い子に育ってくれました。10歳のころ、アニメの「キャプテン翼」に夢中になっている姿を見て、サッカーチーム「クリッパーズ」を結成しました。子どもたちと一緒にグラウンドを走り回ったり、試合をしたり、遠征に行ったり、本当に楽しい思い出となりました。現在、国士舘大学の理事長である大沢英雄先生には、その際に監督を引き受けていただき、今でも親戚のようにお付き合いいただいています。

 実は当時、ものすごく暇だったからできたということもあるんですが(笑)。

 一樹はもっとサッカーをやりたいと、2年生の時に東京の成城学園から青森県八戸市にある光星学院高校へ編入しました。2年、3年と連続で青森県代表になり、全国大会に出場しました。

 一樹はサッカーをやりながら自転車のモトクロス競技も始めました。ダウンヒル競技が好きで、オリンピック選手を目指し、アメリカのコロラドに2年間留学して、ワールドカップで5位になりましたが、ダウンヒル競技は危険だからとオリンピック種目にならなかったため、あっさりやめてしまいました。

 以前から興味を持っていたデザインを学ぶため、ニューヨークへ転居しました。姉(千代子)の三男で原宿でファッションブランドを立ち上げている滝沢伸介君の影響もあったようです。親を頼ることもなく、住まいも学校を探すのも全て自分で決めました。独立心旺盛に育ったのは、青森での下宿生活の経験が生きたようです。

ファッションでも
 そんな一樹も、もう36歳になります。子どものころから発想が豊かで美術の成績が良く、現在はドイツのアディダス本社直轄のトレンドマーケティング部の一員としてだけではなく、アディダス創立60周年記念として世界から3人のデザイナーを選抜してスタートしたブランド(ObyO(オーバイオー))ではアメリカのデザイナーのジェレミー・スコット、イギリスのデビッド・ベッカム、そして日本ではただ一人、一樹が起用され、デザイナーとしても活躍しています。その他、イギリスのカシュカ、リーバイスとコラボしたり、CDジャケットなどグラフィックデザイナーとしても幅広くキャリアを築き、東京を代表するファッションクリエーターの一人として名前も知られるようになりました。

 30数年前、テレビの家族対抗歌合戦に長野の父母と一緒に出演し、「ぞうさん」を歌った一樹が立派に成長したことがうれしいです。息子のデザインの服や靴をもらって着用していますが、若返りますね(笑)。息子の影響で筋金入りのサッカーファンとなった私たち夫婦は、大学や日本代表の試合があるとそろって応援に出掛けます。
(聞き書き・西沢よしえ)
(2011年3月5日号掲載)

=写真=父母と出演した家族対抗歌合戦


 
倉石功さん