記事カテゴリ:

21 脳死−新しい死(上)

 表題の「新しい」は"人類史上かつてなかった/新しく生まれた(認められた)"ほどの意である。

 人類がこの世(地球)に誕生したのは、アフリカがそのルーツだそうだが、およそ500万年前のことだという(700万年前説も)。

 死の判定基準
 この長い人類の歴史の中で、死の判定について論じられたことは近年までなかった。脳死も安楽死も尊厳死も、ごく最近に生まれた言葉である。

 死の判定は隣人同士の日常生活から生まれた。自ずからなる社会通念として、あるいは文化伝統としてあったもので、関わったものがあるとすれば、自然と神であり、そこに政治、有識者が介在したことはなかった。

 それは、何万年来の慣習によったものであり、客観的事実としての社会的合意であり、会議や法律で決めたものではなく、家人でも素人でも子どもでも分かるものであった。そしてこの目の前にある死の状況を、昔の人たちは実に分かりやすい言葉で語ってきた。

・息をひきとる
・目を落とす
・脈が止まった
・冷たくなった

などがそれだ。これをいつのころからか「伝統死」という言い方で括ることもあった。"目が光に反応しない"状態を死の徴候としたのはずっと後の世になってからのことであろう。現代医科学の立場からは死の判定基準を、

・呼吸の停止
・心拍の停止
・瞳孔の散大(瞳孔の
 対光反射消失)

にまとめてこれを、3徴候死といっている。

 分かる死と見える死
 こんな事例がある。朝食時間になると、呼ばれなくても、定位置に行儀よく座って待っているおじいちゃん。それがどういうわけか、今朝は見えない。「○○ちゃん、じいちゃん呼んどいで」とおばあちゃん。ものの1分もたたないうちに孫がすっ飛んできて「じいちゃんおかしいよ! 変だよ」と叫ぶ。家人が駆け付けてみると、じいちゃんはすでに事切れて(命が絶える)、頬は冷たくなっていたというのである。

 さて、ここで言いたいのは、じいちゃんの容体が急変してただならぬ事態だということが、幼児にも分かったということである。要するに死という冷厳な事実が、誰にでも分かり、見えるという形でそこにあったということである。繰り返して言えば、脳死という死が認められる以前、いわゆる伝統死の時代の死は、

・冷たい死であり
・見える死であり
・あきらめられ、納得
 できる死であり
・誰にも分かる死
だったのだった。

 脳死の誕生
 ここで採り上げた「新しい死」は「脳死」を指して言うのであるが、仮に死の人類史といった年譜を編むとすれば、脳死が認められたことほど画期的なことはなかったといっていい。特筆大書される出来事だった。なにしろかつてなかった死が認められたというのだから。

 脳死誕生までの経過は"脳死臨調"が立ち上げられ議論百出。大論争の果て最終的には国会議決となった。それも、わずか4時間という審議で拙速さが目立ち、数の論理が横行するという無様と、人類未曽有の大問題に断を下すというのに、そこに生と死の哲学の無さを露呈したものであった。

 「死」は永遠の課題であることは、生まれ出ずるものがある限り、不変のことであろうが、死は後戻りができないという事実と、死は死後の世界の有無にかかわらず、なんぴとの上にも確実にやってくるという事実もまた、事実だ。
(2011年3月5日号掲載)
 
美しい晩年