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02 〜混乱収拾 議長指名で決定〜

39-kyoudoshi-0423p.jpg 七沢清助前長野市長が1934(昭和9)年7月12日に辞任してから足かけ5カ月間、長野市政は未曽有の空白と混乱の中に置かれました。

 同年12月1日、長野市会は事態収拾への市民の要望を踏まえ、全員協議会を開いて意見調整をしてから、市長選出のための本会議を開きました。

 冒頭、議長からの詮衡(せんしょう)委員会の経過説明後、"後任市長は投票の煩を省き、議長指名で決定する"との動議が可決され、議長は直ちに藤井伊右衛門を後任市長に指名。満場起立し、これに賛意を表して7代市長が決定されました。

 市会閉会後、徳倉議長ほか交渉委員は西之門町で酒造業を営む藤井伊右衛門の自宅「吉野屋」を訪問し、市長就任受諾を要請しました。

 藤井「私はかねて市会詮衡委員会が私を後任市長に御推薦くださった直後、辞退の申し出を致しておいたが、その点はご了承のことか」

 一同「承知しています」
 藤井「それでは私がさらにお引き受けしないとしたらどうしますか」
 一同「そのようなことは全く予想せず、ただひたすら貴殿の御受諾を熱願するばかりです」
 藤井「他に多くの市長適任者がいるにもかかわらず、かくまでして私の出馬を要求せられるについての各位の御心情は深くお察しするし、また、私として身に余る光栄であり、如何ように御返答すべきかについて再考してみたいからしばらくの猶予を願いたい」

 かくして藤井は約1週間熟考したのち、12月6日、次のように回答しました。

 「このたび交渉委員の方をはじめ各方面の方々から熱心に市長出馬を勧められ、周囲の事情を篤と考慮、家族、友人とも相談、市長としての適、不適を省みず、本日、受諾を決意いたしました。私としては全く予期しなかった結果で、自らの足りない点は、十分承知しており、その点は8万市民の御協力によって補っていただきたいと念じております。...私の見るところ長野市に人材がないとは考えられない。ただ人材の才幹を生かしていないために批判されている。...要は人の和がこの際、長野市にとって最も緊要事と信じています」

 藤井は12月7日9時に市長当選承諾書を提出し、13時に初登庁、全職員に就任のあいさつを述べました。
(2011年4月23日号掲載)

=写真=議長らが市長就任を要請した藤井の自宅「吉野屋」