記事カテゴリ:

05 考えるときのイライラは大切

 知性は、いったん質問を発すると、何とかして、その質問への答えを得ようと次の動きをし始めます。「考える」という動きです。 

 答えを求めて考え続けているときには、感情の中に「イライラ」「不安」「悩み」といった動きが起こってきます。例えば、朝起きたら「いつもの場所に眼鏡がない」とします。予期していない状況に対して質問が発生します。「どこへやったんだろう?」。そして、捜し始める。しかし、なかなか見つからない。そうすると時間がたつにつれて、それがない不便さへの不快感と重なって、「イライラ」「焦り」といった感情が膨れ上がってくるのを観察できるでしょうか。

 このような感情の動きは、質問を発生することによって、知性の中にある種の「不均衡」が起こることに起因しています。そして、人間は不快なものを快適なものに、バランスが崩れたものをバランスが取れた状態(均衡)にもっていこうとするので、この感情に「せかされる」ことで「前進する動き」が生じるのです。

 ですから、質問によって生じる「イライラ」「不安感」は、その状態を解消しようとして、「思考」が前に進むという、車に例えれば、ガソリンの役割を果たしているということができるのです。

 「悩むこと」はいけないことであると思い込んでいる子どもたちがいます。しかし、「悩むこと」はさまざまな物事について質問を発し、その質問への解決を求めて考えることそのものですから、知性の仕組みから見れば、実に健全な精神の動きであるということができます。

 特に、一定の年齢に達すれば、日常の細々した質問のほかに、「自分は何のために生きているのか」というような、一朝一夕では答えに達することができない深い問いを発することができるようになります。しかし、この問いに取り組み始めれば、長期間にわたって「イライラ」「不安」が続くことになります。

 もし子どもが、このイライラのせいで、家族に対して、「うるさいな、ほっとけよ」と言ったり、ずーっと考え続けて食欲がなくなったりしている様子を見たりすると、「悩むのはやめろ」「つまらぬことを考えるな」などと言いたくなります。

 しかし、知性の仕組みから見れば、これも区別が必要です。「『悩むこと』は重要だ。考え続けなさい。しかし、人を傷つけるような言葉はやめよう。その問いへの答えが見つかるまでには時間がかかることだから、今日はちゃんとご飯を食べよう」などと言うことができるのではないでしょうか。

 では、答えを求めることによって生じる不均衡は、どのようにして均衡(バランス)を回復するのでしょうか? それについては次回。

(2008年7月26日号掲載)
 
たてなおしの教育