戸隠神社の最高の宝物は重文の「牙笏(げしゃく)」だ。笏とは、かつて一万円札の聖徳太子が持っていた長さ30センチ余の平たい板片のこと。唐の律令政治に倣ったもので、儀式の式次第や報告文などをメモ書きして、備忘の役にした。
昨年6月、長野高校金鵄会の社会人向け古典講座で「シルクロードは長野に至っていた-重文-戸隠神社所蔵の象牙笏」という講義があった。講師は滋賀県立大学名誉教授の菅谷文則さん。シルクロードと正倉院御物研究では日本の第一人者だ。
牙笏は1964(昭和39)年の「戸隠総合調査」で、国立科学博物館の鑑定の結果、象の牙とされた。おまけに「象牙製の笏は天皇クラスの持ち物」とされたので、関係者はびっくり。

菅谷さんは「通天笏と呼ぶように象牙の年輪が山形にきれいに出ていますから、小さなインド象ではありません。アフリカ象でないと取れない年輪文様です。アフリカから海のシルクロードを経て唐に運ばれ、加工されたもの」と解説した。
アフリカのどこか?ローマ帝国史やシルクロードの資料をあさってみたら、アフリカ大陸南部のラプタと分かった。「古来、多量の象牙や亀甲を集散輸出した」とある。
現存する象牙笏は、法隆寺に1枚、正倉院に2枚、道明寺天満宮(大阪府藤井寺市)に1枚、戸隠に1枚の計5枚だけである。天満宮のものは菅原道真の所持品とされ、ほかは代々の天皇のものとほぼ特定されている。
では、どの天皇が、何の目的で、権威の象徴でもある「象牙笏」を戸隠神社に
捧げたのだろうか。
菅谷さんは飛躍的な推測をして「戸隠には巨大な勢力=強力な神がいたと思われます。巨大な勢力に対して天皇があいさつをした証拠かもしれません」と述べた。
戸隠の宿坊「宮沢館」の当主・宮沢和穂さんは、信濃の古代史研究家だ。古事記や日本書紀をベースに戸隠信仰の成り立ちを探り、40代天武天皇と41代持統天皇(女帝)の事跡に注目している。
日本書紀の天武紀には「684(天武13)年、三野王(みのおう)を信濃に派遣、地図を作らせた。翌685年、朝臣(あそん)3人を信濃に派遣し、仮の宮を造らせた」とある。
また持統天皇は691年、使者を遣わし、信濃国の須波(すわ)、水内(みのち)などの神を祭らせた。この時「犀角笏奉納」と日本書紀引用の文献にあるという。
須波は諏訪の神、古代の水内は北信濃一帯のことだ。両天皇が信濃に関心を寄せたのは、道教思想による。中国の道教では、首都のほかに陪都(ばいと)=副首都を造るのを常とした。長安に対する洛陽の関係だ。
壬申の乱で政権を握った天武は、道教に通じていた。藤原宮(ふじわらのみや)を構想し、副首都として信濃を想定したという。
水内の神が戸隠の神だとすれば、象牙笏という貴重品が、戸隠神社にあるのも納得できる。
(2009年1月24日号掲載)
写真:長さ34センチ、幅4・5センチの通天笏
昨年6月、長野高校金鵄会の社会人向け古典講座で「シルクロードは長野に至っていた-重文-戸隠神社所蔵の象牙笏」という講義があった。講師は滋賀県立大学名誉教授の菅谷文則さん。シルクロードと正倉院御物研究では日本の第一人者だ。
牙笏は1964(昭和39)年の「戸隠総合調査」で、国立科学博物館の鑑定の結果、象の牙とされた。おまけに「象牙製の笏は天皇クラスの持ち物」とされたので、関係者はびっくり。

菅谷さんは「通天笏と呼ぶように象牙の年輪が山形にきれいに出ていますから、小さなインド象ではありません。アフリカ象でないと取れない年輪文様です。アフリカから海のシルクロードを経て唐に運ばれ、加工されたもの」と解説した。
アフリカのどこか?ローマ帝国史やシルクロードの資料をあさってみたら、アフリカ大陸南部のラプタと分かった。「古来、多量の象牙や亀甲を集散輸出した」とある。
現存する象牙笏は、法隆寺に1枚、正倉院に2枚、道明寺天満宮(大阪府藤井寺市)に1枚、戸隠に1枚の計5枚だけである。天満宮のものは菅原道真の所持品とされ、ほかは代々の天皇のものとほぼ特定されている。
では、どの天皇が、何の目的で、権威の象徴でもある「象牙笏」を戸隠神社に

菅谷さんは飛躍的な推測をして「戸隠には巨大な勢力=強力な神がいたと思われます。巨大な勢力に対して天皇があいさつをした証拠かもしれません」と述べた。
戸隠の宿坊「宮沢館」の当主・宮沢和穂さんは、信濃の古代史研究家だ。古事記や日本書紀をベースに戸隠信仰の成り立ちを探り、40代天武天皇と41代持統天皇(女帝)の事跡に注目している。
日本書紀の天武紀には「684(天武13)年、三野王(みのおう)を信濃に派遣、地図を作らせた。翌685年、朝臣(あそん)3人を信濃に派遣し、仮の宮を造らせた」とある。
また持統天皇は691年、使者を遣わし、信濃国の須波(すわ)、水内(みのち)などの神を祭らせた。この時「犀角笏奉納」と日本書紀引用の文献にあるという。
須波は諏訪の神、古代の水内は北信濃一帯のことだ。両天皇が信濃に関心を寄せたのは、道教思想による。中国の道教では、首都のほかに陪都(ばいと)=副首都を造るのを常とした。長安に対する洛陽の関係だ。
壬申の乱で政権を握った天武は、道教に通じていた。藤原宮(ふじわらのみや)を構想し、副首都として信濃を想定したという。
水内の神が戸隠の神だとすれば、象牙笏という貴重品が、戸隠神社にあるのも納得できる。
(2009年1月24日号掲載)
写真:長さ34センチ、幅4・5センチの通天笏