戸隠信仰の根源は戸隠の山容にある。各峰は「一不動」「五地蔵」など巡峰修験(じゅんぽうしゅげん)の名残をとどめる。
高く奇怪な山の姿は古代から信仰の対象となった。修験と民俗学の泰斗・和歌森太郎は「戸隠の原始信仰は山への畏敬であり、怪異の荒ぶる神、鬼の棲息(せいそく)するところとして畏怖(いふ)した信仰であった」と述べている。
あの山容はどのようにしてできたのか-。
戸隠と長野市の旧市街地を含む一帯は500万年前、実は海の底だった。寒流と暖流が混ざり合う豊穣(ほうじょう)の海の底には、たくさんの魚や貝類が生息していた。
ところが2、300万年前、激しい火山活動で海底が隆起し、2000メートル級の山並みに成長した。非常に硬い岩山だったが、次第に風雨で軟かい部分が崩れ、現在の屏風(びょうぶ)のような地形になった。このため、戸隠の谷や沢からは大量の化石が見つかっている。

戸隠の特産物・化石に目を付けて宣伝したのが平賀源内だ。江戸中期の人・源内(1728〜79)は"日本のレオナルド・ダ・ビンチ"といわれる多能・多才な人物だ。63(宝暦13)年、彼は主著というべき『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』を刊行した。
品隲とは品定めのこと。 江戸時代には湯島や神田で頻繁に物産会(ぶっさんえ)が開かれた。

今日の博覧会だ。物産会の展示品から360種を精選し、産地を明示。上品、中品、下品にランク付けした本文4巻、図絵1巻、付録1巻の大著が『物類品隲』だ。
市立戸隠地質化石博物館の学芸員・田辺智隆さんが、この辺に詳しい。「正倉院御物には薬として、龍骨(りゅうこつ)と総称される化石骨があります。恐竜化石や、ゾウ、クジラ、サイ、トラの骨は貴重な薬として珍重されました。江戸時代には各地で掘り出される化石が流通し、その中で戸隠の化石が有名になったんです。ただし、戸隠はホタテやカキの貝殻が主体なので、源内の評価は中品でした」
(2009年3月28日号掲載)
写真上=平賀源内(慶応義塾図書館蔵)
写真下=「物類品隲」(信大教育学部図書館蔵)
高く奇怪な山の姿は古代から信仰の対象となった。修験と民俗学の泰斗・和歌森太郎は「戸隠の原始信仰は山への畏敬であり、怪異の荒ぶる神、鬼の棲息(せいそく)するところとして畏怖(いふ)した信仰であった」と述べている。
あの山容はどのようにしてできたのか-。
戸隠と長野市の旧市街地を含む一帯は500万年前、実は海の底だった。寒流と暖流が混ざり合う豊穣(ほうじょう)の海の底には、たくさんの魚や貝類が生息していた。
ところが2、300万年前、激しい火山活動で海底が隆起し、2000メートル級の山並みに成長した。非常に硬い岩山だったが、次第に風雨で軟かい部分が崩れ、現在の屏風(びょうぶ)のような地形になった。このため、戸隠の谷や沢からは大量の化石が見つかっている。

戸隠の特産物・化石に目を付けて宣伝したのが平賀源内だ。江戸中期の人・源内(1728〜79)は"日本のレオナルド・ダ・ビンチ"といわれる多能・多才な人物だ。63(宝暦13)年、彼は主著というべき『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』を刊行した。
品隲とは品定めのこと。 江戸時代には湯島や神田で頻繁に物産会(ぶっさんえ)が開かれた。

今日の博覧会だ。物産会の展示品から360種を精選し、産地を明示。上品、中品、下品にランク付けした本文4巻、図絵1巻、付録1巻の大著が『物類品隲』だ。
市立戸隠地質化石博物館の学芸員・田辺智隆さんが、この辺に詳しい。「正倉院御物には薬として、龍骨(りゅうこつ)と総称される化石骨があります。恐竜化石や、ゾウ、クジラ、サイ、トラの骨は貴重な薬として珍重されました。江戸時代には各地で掘り出される化石が流通し、その中で戸隠の化石が有名になったんです。ただし、戸隠はホタテやカキの貝殻が主体なので、源内の評価は中品でした」
(2009年3月28日号掲載)
写真上=平賀源内(慶応義塾図書館蔵)
写真下=「物類品隲」(信大教育学部図書館蔵)