戸隠には文学の香気があふれている。
山田美妙(びみょう)、川端康成、林芙美子(ふみこ)、津村信夫(のぶお)ら。戦後の作家では半村良(はんむらりょう)、内田康夫らがいる。中でも戸隠の香気を見事にうたい上げたのは夭折の詩人・津村信夫(1909〜44)だろう。津村の最高傑作は、中社の石段右手の林の中に立つ記念碑に刻まれている。
紙幅がないので、書き流しでお読みいただきたい。
「戸かくし姫」
山は鋸の歯の形 冬になれば人は往かず 峯の風に 屋根と木が鳴る こうこうと鳴ると云ふ 「そんなに こうこうつて鳴りますか」 私の問ひに 娘は皓(しろ)い歯を見せた 遠くの薄(すすき)は夢のやう 「美しい時ばかりはございません」
初冬の山は 不開(あけず)の間 峯吹く風をききながら 不開の間では 坊の娘がお茶をたててゐる 二十(はたち)を越すと早いものと娘は年齢を云はなかった-
この詩文のすごさは、一見の訪問者や旅行客には分からないだろう。私も最初は分からなかった。朝な夕なに、四季に頻繁に通うようになって、ある厳冬の日、越水ケ原の雪景色に出合って実感することができた。
青空に鋸のような戸隠連峰が切り立ち、烈風がまさに「こうこう」と鳴っていた。詩人の感性に脱帽した。自然のすごさと娘の人生をうたい上げて、これ以上のものはない。
神戸の大金持ちの家に生まれた津村は、夏は軽井沢の旅館で避暑をした。その時、食事の"お運びさん"だった昌子に一目ぼれしてしまう。娘は長野市の貧しいパン職人の妹だった。
才能はあるが能天気な慶応ボーイの津村は、両親や兄弟、師の室生犀星や先輩の堀辰雄や友の丸山薫をてんてこ舞いさせて、結婚してしまう。

掲げた写真は善光寺本堂前でのツーショットだ。文字通りの美男美女。特に昌子のかれんさにはびっくりする。富士額にさわやかなあごのライン、和服の着こなし-文句なしの女性だ。
信濃は"美人不作の国"との定評だが、認識を改めた方がよい。晩年の80歳代の昌子に鎌倉で会ったことがある。美人は年を取ってもほがらかで、すこぶる美人だった。
戸隠は恋愛神話の地でもある。彼と彼女の思わぬ過酷な運命は、永遠に語り継がれることになる。
(2009年4月11日号掲載)
写真=長野市中が2人のデートスポットだった(一人娘の初枝さん提
供)
山田美妙(びみょう)、川端康成、林芙美子(ふみこ)、津村信夫(のぶお)ら。戦後の作家では半村良(はんむらりょう)、内田康夫らがいる。中でも戸隠の香気を見事にうたい上げたのは夭折の詩人・津村信夫(1909〜44)だろう。津村の最高傑作は、中社の石段右手の林の中に立つ記念碑に刻まれている。
紙幅がないので、書き流しでお読みいただきたい。
「戸かくし姫」
山は鋸の歯の形 冬になれば人は往かず 峯の風に 屋根と木が鳴る こうこうと鳴ると云ふ 「そんなに こうこうつて鳴りますか」 私の問ひに 娘は皓(しろ)い歯を見せた 遠くの薄(すすき)は夢のやう 「美しい時ばかりはございません」
初冬の山は 不開(あけず)の間 峯吹く風をききながら 不開の間では 坊の娘がお茶をたててゐる 二十(はたち)を越すと早いものと娘は年齢を云はなかった-
この詩文のすごさは、一見の訪問者や旅行客には分からないだろう。私も最初は分からなかった。朝な夕なに、四季に頻繁に通うようになって、ある厳冬の日、越水ケ原の雪景色に出合って実感することができた。
青空に鋸のような戸隠連峰が切り立ち、烈風がまさに「こうこう」と鳴っていた。詩人の感性に脱帽した。自然のすごさと娘の人生をうたい上げて、これ以上のものはない。
神戸の大金持ちの家に生まれた津村は、夏は軽井沢の旅館で避暑をした。その時、食事の"お運びさん"だった昌子に一目ぼれしてしまう。娘は長野市の貧しいパン職人の妹だった。
才能はあるが能天気な慶応ボーイの津村は、両親や兄弟、師の室生犀星や先輩の堀辰雄や友の丸山薫をてんてこ舞いさせて、結婚してしまう。

掲げた写真は善光寺本堂前でのツーショットだ。文字通りの美男美女。特に昌子のかれんさにはびっくりする。富士額にさわやかなあごのライン、和服の着こなし-文句なしの女性だ。
信濃は"美人不作の国"との定評だが、認識を改めた方がよい。晩年の80歳代の昌子に鎌倉で会ったことがある。美人は年を取ってもほがらかで、すこぶる美人だった。
戸隠は恋愛神話の地でもある。彼と彼女の思わぬ過酷な運命は、永遠に語り継がれることになる。
(2009年4月11日号掲載)
写真=長野市中が2人のデートスポットだった(一人娘の初枝さん提
