
分からないはずだ。昔は田畑の中だったらしいが、マンションと学生相手のアパートが林立し、曲がりくねった農道沿いにあった。墓地も境内も猫の額のようだ。
源平の戦いで平敦盛と一騎打ちをした熊谷直実は、死闘に無情を覚え、出家して善光寺に入る。直実の出家をめぐる縁は、世阿弥の傑作能「敦盛」に昇華されている。
後を追ってきたのが娘。犀川を渡ろうとして病臥し、従者の看病もむなしく父に会えずに亡くなる。その玉鶴姫の塚は信大工学部の北にある。
再会を果たすことが多い善光寺伝説には珍しい哀話で、玉鶴姫の菩提を弔ったのがこの寺の由緒だ。開基は1188(文治4)年。かつては善光寺町に隣接した芹田村の古刹だ。住職は根井英親(ねのいえいしん)さん。
根井とは、珍しい姓ですねえ-。
「佐久の豪族・根井が私のルーツです」
佐久の根井は、木曽義仲を支えた四天王の一人だ。

義仲が最初に有力軍団を形成したのは、佐久の根乃井という地籍で、そこの首領が滋野一族の根井行親だった。「根井がかついだのだから、木曽義仲はきっと大した人物に違いない」と、信濃の豪族は次々と義仲軍団に参入する。越後から攻めてきた平家の軍団6万人を2000余騎で打ち破ったのが、横田河原(篠ノ井)の合戦だ。
この小さな寺が源氏の有名人2人にかかわりがあるとは知らなかった。あまりに小さな境内に驚いたが、ふと見上げるとイチョウの巨木が天空をついている=写真。
「この寺の創建ごろからでしょう。まあ樹齢は800年余りと見ています」
住職のルーツもすごいが、市指定の保存樹木も見ものだ。
(2009年6月20日号掲載)