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071 佛導寺 〜源氏の著名2人にゆかり

071-rekishi.jpg 善光寺伝説にかかわる有名な寺なのに、参拝するのは初めてだった。熊谷山・佛導寺(ゆうこくさん・ぶつどうじ)は若里のこの辺りと思うのだが、場所が分からない。インターネットで地図検索した。

 分からないはずだ。昔は田畑の中だったらしいが、マンションと学生相手のアパートが林立し、曲がりくねった農道沿いにあった。墓地も境内も猫の額のようだ。

 源平の戦いで平敦盛と一騎打ちをした熊谷直実は、死闘に無情を覚え、出家して善光寺に入る。直実の出家をめぐる縁は、世阿弥の傑作能「敦盛」に昇華されている。

 後を追ってきたのが娘。犀川を渡ろうとして病臥し、従者の看病もむなしく父に会えずに亡くなる。その玉鶴姫の塚は信大工学部の北にある。

 再会を果たすことが多い善光寺伝説には珍しい哀話で、玉鶴姫の菩提を弔ったのがこの寺の由緒だ。開基は1188(文治4)年。かつては善光寺町に隣接した芹田村の古刹だ。住職は根井英親(ねのいえいしん)さん。

 根井とは、珍しい姓ですねえ-。
 「佐久の豪族・根井が私のルーツです」
 佐久の根井は、木曽義仲を支えた四天王の一人だ。

071-rekishimap.jpg 信州人が天下を制した例は義仲を置いてほかにない。木曽に育った"山猿"が、あれよ、あれよという間に、平家を滅ぼしてしまうのは、日本史の一大珍事。時代の風=フォローウインドに乗って快進撃した朝日(旭)将軍のストーリーは血わき肉躍らせる。

 義仲が最初に有力軍団を形成したのは、佐久の根乃井という地籍で、そこの首領が滋野一族の根井行親だった。「根井がかついだのだから、木曽義仲はきっと大した人物に違いない」と、信濃の豪族は次々と義仲軍団に参入する。越後から攻めてきた平家の軍団6万人を2000余騎で打ち破ったのが、横田河原(篠ノ井)の合戦だ。

 この小さな寺が源氏の有名人2人にかかわりがあるとは知らなかった。あまりに小さな境内に驚いたが、ふと見上げるとイチョウの巨木が天空をついている=写真。

 「この寺の創建ごろからでしょう。まあ樹齢は800年余りと見ています」

 住職のルーツもすごいが、市指定の保存樹木も見ものだ。

(2009年6月20日号掲載)

 
足もと歴史散歩