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075 武井神社(中) 諸行事 諏訪大社がルーツ

075-rekishi.jpg 晩夏の8月26日、氏子は武井神社に詣で青い萱を頂き、自宅に持ち帰って翌朝箸にして、小豆ご飯を食す。塩味だけだが、萱のすがすがしい香りが鮮烈で「残暑を乗り切り、一年中無病息災」と年寄りに教えられた。 

 ところが、なぜ萱の箸なのかが分からなかった。「信濃の第一の神社は諏訪大社です、お田植えと狩りが重要な行事でした。それがルーツです」と齋藤吉睦神職(禰宜)の母堂の敏子さん。

 諏訪の御射山御狩神事は古代五輪にもたとえられる。霧ケ峰の観覧席付きのグラウンドに全国から武人が参集し、大勢の観客の前で弓矢の腕を競った。その弓矢を模したのが萱。豊作と狩りの豊饒祈願こそ神社信仰の原点なのだ。

 武井神社の齋藤家は、湯福神社の齋藤家とは数代前に分かれた縁せきで、齋藤一族は諏訪の有力豪族=神官の武井氏に連なる。「善光寺仏を迎えて守り立てたのは、実に我らが一族なのです」とのひそかな自負がある。祭神は建御名方の命で、神社の名前の由来でもある。神道は自然発生の信仰であり、仏教は後からやってきた新興宗教という見方が成り立つ。

 この辺の背景を宗教学者は「仏教が入ってきた時、神道支持派との宗教戦争になった。大和政権・天皇家は紛争の教訓から、巧妙な政策、両宗教の良いとこ取りをした。神道の強い地域集団には神道を認めて尊重。仏教が強い政治勢力には仏教を尊重する政策だった。日本に仏教と神道が混淆し、さらに習合した理由です」と説明する。

 基本的に天皇家は神道だ。陛下は田植えや稲刈りをされ、妃殿下は今日でも養蚕をされる。中国の皇帝と同じく、皇室の主要な職務は神への豊作祈願なのだ。

 一方で、地方へ行かれると有名仏閣にも参拝される。われら庶民の家庭に仏壇と神棚が同居している理由だ。それにも増して、この長野市=善光寺町は特異な宗教の町であるようだ。

写真=拝殿に掲げられていた御柱祭行列図大絵馬(市指定文化財)の左半分

 
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