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16 絡み合えない知識が"ダマ"を作る

 「勉強する」とは、「教える」とはどういうことでしょうか? 日常生活で当たり前に使っているこれらの言葉の意味を、私たちは分かっているようで、実はよくは分かっていない可能性があります。

「勉強する」と「教える」
 クリームシチューなどに使うホワイトソースを作っていて、ダマ(小麦粉の塊のツブツブ)があちこちにできて、それをつぶすのに一苦労した。こんな経験はありませんか?

 「勉強する」「教える」という行為の関係を理解し損ねると、場合によって、このような「ダマができたホワイトソース」と似た状態になることがあります。

 これまで、自分自身の知性を働かせて得る「自前の知識」と、他の人が得てくれ、表現し、伝えてくれた「借りる知識」の2種類の知識についてその区別をしてきたのですが、今度は、それらの相互関係の問題に移っていきましょう。

 この2種類の知識との関係で学校の役割を考えるならば、学校とは「三つの役割」を持っていることが分かります。ここではまず、最初の二つの役割を説明します。それは(A)子どもたちに知識を貸し出す役割(B)子どもたちが自前の認識構造をスムーズに働かせることを助ける役割です。

学校・教科書の役割
 (A)の「知識を貸し出す役割」を代表しているのは教科書です。我々が他者から借りることのできる知識は膨大なものですが、そのすべてを借りることはもちろん不可能です。この意味で、教科書とは、子どもたちに、最低これだけは借りさせたいと大人たちが考える過去の知的遺産の代表カタログです。

 子どもたちは教科書を通じて、代表的な知識を借りるのですが、借りた知識は子どもたちの頭の中で、子どもたち自身の「自前の知識」とどのように混じっていくのでしょうか。

 「勉強する」「教える」という機能が理想的に働けば、「借りる知識」は「自前の知識」と絡み合って、滑らかなホワイトソースのような、「おいしい」知識の基礎が出来上がってくるはずですが、やり方によって、ダマができたホワイトソースのように、借りた知識の断片が自前の知識と絡み合うことなく頭の中に浮遊する現象が起きます。

 例えば、小学校の中学年ごろ、分数、小数などを取り扱い始めるころに「算数が苦手、嫌い」という子どもが増えてきます。どうして「苦手」と感じ始めるのかといえば、ここで言う「ダマができた状態」が発生するからです。

 なぜ、「ダマ」ができるのかといえば、我々の知性が「借りる知識を受け取る道筋」に渋滞が起こるからです。では、その渋滞とはどんなもので、なぜ、起こるのでしょうか? 次回に続けます。

(2009年6月27日号掲載)
 
たてなおしの教育