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18 時間がかかっても「あっ、そうか!」の発生を

 知性は借りた知識の内容を丸暗記することが苦手ですから、借りた知識の意味を少しずつ自分の頭で理解し直して、その知識を自分のものとして消化しようとします。

具体的に思い浮かべて理解
 アニメ映画『おもひでぽろぽろ』の中で、主人公のタエ子が「分数の割り算」の意味が分からずに、姉にしかられているシーンがあります。

 「1+1=?」 という問題であれば、「1本の鉛筆にもう1本の鉛筆を足すと全部で何本になるか」というような状況を具体的に思い浮かべることができるのですが、分数の割り算で表される具体的な問題「1−2÷1−4=?」(2分の1のピザを4分の1の大きさに分けると、何人分がとれますか?)をタエ子は思い浮かべることができません。

 タエ子は、これらの問題の意味と計算の仕組みを理解したいと悪戦苦闘するあまり、テストの点数は散々です。そんなタエ子に対して家族は、頭が悪いとか、意味が分からなくても教えられた計算方法を丸暗記してやれば点数は取れるのだ、などと言って、タエ子の「理解したい」というこだわりがナンセンスであると決めつけます。しかし、その数式の意味を理解したい欲求を捨てきれないタエ子は、自分のこだわりが本当に無意味であったのかどうか大人になっても悩み続けます。

 知性の仕組みから見ると、タエ子のような「借りた知識の内容を自分の頭で理解し直したい」という欲求は、きわめて健全なものです。問題となるのは、逆に、このような借りた知識の内容を「理解したい」という欲求を、「能力のなさ」の表れと考えたり、理解しようと問い続けることを「要領の悪さ」ととらえる誤解が存在することです。

 学校で教科書などを通じて提示される内容は、その内容を借りっぱなしにするのではなく、自分の知性で理解し直すことが求められているものがほとんどです。そして、教科の中でも、特に算数は、借りた知識の内容を「あっ、そういう意味か! なるほど」と「理解」し、自前の知識として消化し直すことで、はじめて意味を持つ教科です。ですから、分数の割り算の意味や計算の仕組みが分からない状態にある子どもに、やり方を「ただ暗記してやればよい」と要求することは、苦痛を与えること以外の何ものでもありません。

 消化できない問題にぶつかっている子どもに対して必要なことは、理解したいという欲求を押さえ付けることではなく、その努力の意義を認め、どのように時間がかかろうとも「理解」を発生させる助けを与えることです。

 では、どのようにして助ければよいのでしょうか? 次回に続きます。

(2009年9月5日号掲載)
 
たてなおしの教育