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24 人生60歳過ぎ 〜故郷を離れて50年 舞台で充実の日々〜

24-kuraishi-0416.jpg 今年は芸能生活50周年ですが、それはまた故郷を離れて50年ともいえます。新幹線や高速道路で東京は近くなりましたが、上京したころは汽車で5時間もかかり、碓氷峠を越える時は煙や石炭がらが飛んできたことを思うと感無量ですね。

 北石堂町にあった赤十字病院の横を通って通学した山王小学校。雪の中、足袋に高歯を履いて七瀬のガードをくぐって通学した南部中学校。昭和通りの丸光、丸善デパートの都会的な雰囲気。中央通りを走るボンネットバスの排気ガスのにおいも好きでした。

  誇らしく思う故郷
 冬季オリンピックの後、帰省した時、善光寺から駅に向かって電柱が地中化されて、スッキリと美しい街並みになっているのに驚きました。そんな故郷を誇らしく思うと同時に、長野駅を降りるとすぐ山が目に入る変わらない景色にホッとします。故郷があって本当によかったと思います。

 人生は面白いですね。僕はひょんなきっかけから俳優になりましたが、もしかして東京オリンピックのボートの選手、実家のスーパー魚力で商人、それとも政治家? 子どものころ、吉田茂首相に憧れて「総理大臣になる!」なんて言っていたことがあったんですよ。『末は博士か大臣か』-そんなタイトルの映画にも出ましたが(笑)。

 俳優になって良かったことは、いろいろな人生を演じられることです。こんなにやりがいのある人生を歩めたのは、多くの支えがあったからこそ。チャンスをくれた高校の同級生。テレビ、映画、舞台の関係者。一番最初に理解してくれた両親と今朝男兄貴。そして応援してくださった長野の人たち。

 僕は両親のいいとこどりだったと思っています。父は明治生まれでしたが170センチ以上と背が高くガッチリとした体格。母は小柄ですが脚が長く、外国人のようにスタイルが良かったですね。ここまでこられたのは、そういう体に生んでくれた両親のおかげだと深く感謝しています。

 思いがけずに歩んできた役者人生。50年の間には何度も山あり谷ありでした。若いころは「山を登るなら最短距離の直線で登ればいいじゃないか。しないで済むなら苦労はしない」なんて考えていました。でも最近は「山は見回しながら登るもの。苦労は買ってでもしろ」と思います。

  9月13日に長野公演
 「近頃あまりテレビで見ませんが、どうされていますか?」と聞かれることがありますが、今回の「私のあゆみ」を通して近況を知っていただけたのでは、と思います。今は舞台が主で、昨年は4本出演しました。今年の9月13日(火)にホクト文化ホール(県民文化会館)で行われる『アプローズ』の長野公演で、故郷の皆さまと会えるのを楽しみにしています。

 舞台は全員の協力で出来上がるもの。スタッフの陰の努力、息の合った共演者との芝居。演じれば演じるほど奥の深さを感じています。「年を取るのもまんざら捨てたものじゃないな」と思いつつ、舞台に夢中で充実した日々です。客観的に自分を見詰め、人生が分かるのも、60歳過ぎだと思っています。あと何年役者ができるかわかりませんが、ゆったりと歩んでいこうと思っています。「私のあゆみ」を続けさせていただいた週刊長野の皆さま、愛読してくださった読者の皆さまに感謝しながら...。

 連載中に大震災がありました。被災された皆さまに心から哀悼の意を表するとともに、一日も早い復興を祈っています。
(聞き書き・西沢よしえ)
(2011年4月16日号掲載)
 おわり

=写真=「アプローズ」で共演の前田美波里さん

 
倉石功さん