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26 「説明すればひらめきを起こせる」という誤解

 何かを説明した後、子どもが「分からない」とつぶやくのを聞いて、「今、説明したじゃない」と言ったことはありませんか? これもまた、「ひらめき」の性質についての誤解から生ずる発言です。ひらめきは「起きる」ものであって、「起こす」ことはできません。当の本人でも「起こす」ことはできないのです。

ひらめきと心臓は似ている
 心身を構成する器官には、我々の意思とは関係なく自分で"動く"もの(例・心臓)と、我々の意思によって"動かす"もの(例・手足)があります。弱っている心臓の動きを良くするために、当人自身が休養や栄養をとったり、医者が薬を与えたりすることは「助け」にはなりますが、心臓そのものを自分で、あるいは医者が動かすことはできません。同じように、ひらめきはそれが起こるのを待たなければなりません。自分や、ほかの人の意思で起こすことはできない動きなのです。

 「説明する」という行為は、ひらめきを起こすための一つの助けです。さまざまな助けはひらめきを起こす確率を高めることはできます。ヒントの出し方の上手な人に教わると、ひらめきが起きやすいということはよく経験することです。しかし、助けはひらめきが「起きる確率を高める」ことはできても、ひらめきそのものを「起こす」ことはできないのです。

 ところが説明するという助けについては、「説明すれば、ひらめきを起こせるはずだ」という誤解を持ちがちです。この誤解に基づくと、「子どもの頭の中にひらめきのスイッチがあって、説明した人が、そのスイッチをひねってやった」というような錯覚を覚えます。そうすると、「説明した」から「ひらめき」が起きたはず→「ひらめき」が起きていないとすると、それは説明する側ではなく、子どもの頭に問題があるのだ-と勘違いしてしまい、つい、「さっき、説明したじゃない」というような、子どもを責めるせりふが口をついて出てしまうのです。

 これらのせりふに責め立てられると、子どもたちは、助けを求めにくくなります。なぜなら、「もう一回説明してください」とお願いすると、「分からないのは、君の方が悪い」とほのめかされることになるのですから。

 なんとか理解したいと願う子どもに、さまざまな助けを与えてもなお、ひらめきが起こらないとき、親や教師にできることは、大変には違いないのですが、さらなる助けの方法-説明を繰り返す、説明を変える、質問を細かくする、図を描く-に知恵を絞ることです。最近子どもが質問に来ないなあ、と感じることがあったら、「分からない」ときの「責任」というボールを子どもに投げつけていないかどうか、考えてみてください。

(2010年4月24日号掲載)

 
たてなおしの教育