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01 南洋の小国 〜苦肉の策 折り紙が大受け〜

01-srilanka-0521p.jpg 赤道のほぼ直下のスリランカをご存じだろうか。昔はセイロンと呼んだ英国領植民地だった島だ。そこでボランティアの日本語講師に本腰を入れるようになって3年余りになる。貧富の差が激しい途上国だが、人情深く、親日的で自然豊かな国の昨今をリポートする。

 スリランカとの縁は1999年に娘に来た一通の国際メールが始まりだった。
 「日本語を学びたい人がたくさんいますが、先生がいないの。あなた来てくれませんか」

 アメリカ西海岸を旅行中に親しくなった人の娘さんからだった。「ものすごくお世話になった人よ。とにかく行ってみるわ」

 インド大陸先端のちっぽけな島だ。嫁入り前の娘を一人で"南洋のジャングル"(当時の私の認識)へ行かせるのは心配なので、休みを取って後から追いかけた。成田から9時間で、蒸し暑いコロンボ空港に着いた。    

01-srilanka-0521m.jpg 出迎えのメニケさん(カノウランカセンターの理事)や娘の友人らと車に乗って4時間。標高700メートルのアルカッドア村に着いた。教育施設「カノウランカセンター」のある周辺は緑がいっぱい。涼風が頬をなでる。八ケ岳山麓の野辺山・清里高原の風景、気象だ。

 村は歴史と伝統を誇る紅茶のプランテーションで、山の北側斜面には茶畑が広がっている。5階建ての紅茶工場をはじめ、村内の施設や学校、自分の宿舎などを見て回った。

 公私の歓迎会の合間に首都の名所を巡り、5世紀中ごろのカッサバ王が岩の上に造った宮殿跡などを観光していたら、1週間がまたたく間に過ぎた。人々の明るさと、あふれる親切がすっかり気に入った。「定年退職したら、こんな所で余生を...。年金があれば大丈夫らしい」と本気で考え始めた。 

 「あたしは予定や仕事があるから、先に帰るわ。父さん、納得できるまで調べたらいいよ」。何と娘は父親を南洋の小国に置き去りにして帰国してしまった。
 
 請われるままに翌日から講師のまね事を始めた。生徒は真面目で意欲的な老若男女、小中学生もいた。授業の後、雑談しながら何か日本らしいことを話そうと思っても、私の語学力は中学の英語程度。シンハラ語は皆目わからない。仕方ないので、ノートを破って折り紙のツルを作って見せた。意外にもこれが大受け。
 
 「すごい! 松木先生はマジシャンだ」「折り方を教えてくれ...」と人気沸騰。調子に乗って笹舟やかぶとを折って「これはボート、これはヘルメット」などとやったら、政府から「幼稚園の先生に折り紙の特別授業をしてほしい」とのお招きが来た。その後、各地で指導し、折り紙の普及に努めている。

 生まれてこの方、これほど嘱望された経験はない。とりあえず3カ月ほどいて再び渡航した。この年になって、使命感のようなものがフツフツと湧いてきた。

 〔まつき・ふさお〕1943年、小田切生まれ。68年長野県庁入り。林務部、地方事務所などに勤務。2004年3月、退職。
(2011年5月21日号掲載)

=写真=後に正式な科目になった折り紙教室