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03 〜善光寺平の水利事業竣工〜

40-kyoudoshi-0514m.jpg 善光寺平の農業用水は1935(昭和10)年段階までは、浅川、鳥居川の流域を除いて、その大部分を鐘鋳堰(かないぜき)や八幡堰などの裾花川からの分水堰に頼っていました。1700ヘクタールを超える善光寺平の水田の用水はこれだけでは足りるものではなく、旱魃の年など水争いが絶えませんでした。

 そこで28年以来、水不足を根本的に解消するために犀川から水を引こうとする運動が起こされました。その結果、「犀川揚水期成同盟会」「善光寺農業水利改良期成同盟会」「善光寺平耕地整理組合」などの犀川揚水による善光寺平の水利問題解決を目的に、1市8カ村にわたる団体がつくられました。目指す事業のキー・ポイントは次の2点でした。

 1 犀川の水をどこからどうやって引き、今まであった堰とどう連結するか
 2 裾花川の分水堰である鐘鋳堰と八幡堰などの用水の一元的な配分をどうするか

 犀川幹線の取水口は県道大町線に沿った河岸に設置し、暗渠(あんきょ)、開渠等で導水し、裾花川はサイフォンで横断し既存の堰に連結しようとするものです。

 裾花川の取水口は旧鐘鋳川堰取入口より約100メートル上流に設け、幹線水路によって旧鐘鋳堰と旧八幡堰の取入口などを一元的に統一しようとするものでした。

40-kyoudoshi-0514p.jpg これらの工事がほぼ完成したのは、藤井市制下の35年5月のことです。その結果、近世以来、水不足に苦しんだ善光寺平の1市8カ村約1700ヘクタールの水田の用水は確保されるようになりました。すなわち同年5月26日に犀川幹線と裾花川幹線の試験通水が実施され、付帯工事を含めた全体の竣工式は約1年後の36年4月28日、桜花爛漫の城山グラウンドで行われました。

 前述したようにこの竣工後、善光寺平耕地整理組合によって県庁西側の現高速バス発着所近くの八幡堰大口分水地に丸山弁三郎撰書になる記念碑が建立されました。
(2011年5月14日号掲載)

=写真=対岸から見た犀川頭首工