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02 教育施設 〜茅野市の男性が立ち上げ〜

02-srilanka-0528p.jpg スリランカは「世界で初めての女性首相・バンダラナイケ夫人を出した国」で有名だったが、1970年代からタミル人の分離独立運動が激化。内戦が続き、30万人近い避難民やテロ犠牲者を出し、政治は混乱、国連や欧米が調停し、数年前にやっと復興体制が整った。

 教育施設「カノウランカセンター」の理事・メニケさん(50歳代)は学生時代に日本語の成績が優秀だったので、日本の援助で12年前に日本に語学留学し、静岡県の寺院に寄留した。そこで茅野市のホテル経営者・狩野倫司さんの姉と懇意になり、交流が始まった。

 「テレビ番組やアニメを見て、故国の若者にとって日本は憧れの国です。しかし、失業者が国民の20%にも達し、生活が苦しく、十分な教育が受けられない人も少なくない...」。メニケさんの話に心を打たれた狩野さんが一肌脱ぐことになった。

02-srilanka-0528m.jpg 「第2次大戦では日本軍機の爆撃で被害を受けたが、親日感情は貴重」。視察した狩野さんは、現地に日本語教育施設を立ち上げた。

 月3000円会費の会員を日本国内で募り、小さな電機部品工場跡を購入して学校にした。運営費はメニケさんがコロンボ市内で勤めている日本語学校の給料と敷地内で取れる茶葉の売り上げを充てている。

 交流やビジネスに役立つ日本語のレベルアップを目指す生徒たちの学習意欲は高い。朝6時から夜中の12時まで勉強することもしばしば。成績と資格の目安にN1(日本の大学生)〜N5(小学1年生)のレベルを設けている。

 さて講師の私だが、現地で主流のシンハラ語はチンプンカンプン。副詞の使い方が難しく、文法などさっぱりだった。唯一頼りの英語もできる人は少数だ。

 しかし古本でも大枚2万円する「日本・シンハラ語辞典」を入手してからは、メキメキ進歩したと思っている。初心者に教えるときは、上級者を"通訳"に使うという妙手を編み出した。

 あとは身ぶり手ぶり、四苦八苦の毎日だ。日本のテレビ番組のDVDや電子辞書を駆使して、分かりやすく楽しい授業が少しはできるようになった。
(2011年5月28日号掲載)

=写真=カノウランカセンターで学ぶ子どもたち