
東条地区の岩沢公民館前から左折すると、間もなく数台の駐車スペースがある。ガレ場に続いて杉林の歩道を進み、やがて尼巌山と奇妙山の分岐する稜線の鞍部(あんぶ)に出る。山腹の歩道は針葉、広葉の樹林が日差しを遮って、吹き上げてくる涼風が実に心地よい。
途中に物見をしたであろう岩場があり、善光寺平を望む素晴らしい眺望が開けている。
岩場に立つと、葉擦れの音が風に乗って聞こえてくる遠い戦場のざわめきのようにも聞こえる。駐車場から山頂の本郭跡までは1時間40分程度。
本郭跡は広葉樹に囲まれた楕円形の平地で「大日霊尊」「蚕養神」の石碑や石祠が祀られている。本郭の一部には高さ1メートル程度の土塁の遺構があり、3方に延びた尾根筋には数条の堀切が確認できる。
この城は歴史が古く、南北朝時代の初期(1330年代)の文献に登場してくるが、築城年などの詳細は不明。室町時代の享徳年間に坂城村上氏の一族が東条に移り、東条姓を称したのが東条氏の始まり。以来、東条地方は尼巌城を詰め城とする東条氏の所領となった。
戦国期のころは、奥地でもある清滝城は廃城となっていたものと思われる。東条にはこんな逸話がある。
源頼朝が善光寺に参拝するため、地蔵峠を越えてやって来た。城主の尼御前が歓迎の宴に娘のお安姫を接待させたところ頼朝は大いに気に入り、姫を鎌倉へ連れ帰ったという。これが奥方・政子の逆鱗に触れ松代へ返されたのであるが、この時、頼朝から贈られた紅梅が「お安紅梅」と呼ばれ、後世に残された。松代高校入り口の角地に何代目かの紅梅の古木があるが真偽のほどは分からない。
東条地方は昔から「東条の七泉」といわれるほど清らかな湧水が多い。傾斜面の里には畑地や、宅地の造成に立派な石垣が随所に見られ、「水と石垣」の文化が息づいている地域だ。
(2011年6月25日号掲載)
=写真=左側の山頂(奇妙山)にある清滝城跡