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27 東日本大震災が訓えるもの3

 テーマというほどのものではないが、この「東日本大震災が訓(おし)えるもの」では"老人と震災"をベースにして、と思ってきた。

 富士山が見たい
 ラジオでこんな話を聞いた。東北に生まれ、東北から出たことがないという爺さんから、東京に住む孫に電話があった。「2泊3日で東京に行くよ。お前のところへ泊まる。上野まで迎え頼む」というものだった。

 「さあ、大変だ。子どもの時からさんざん世話になったじいちゃんだ。自動車も買ってもらったし、この家も建ててもらった。東京へは一度も来たことがない、そのじいちゃんが来る」。孫はありったけの歓迎をすべく、3日間の休暇をとり、じいちゃんに奉仕することに決めた。早速、じいちゃんの好きそうな名所案内のプランを練った。浅草、上野の西郷さん、皇居、泉岳寺、福沢諭吉の墓(善福寺)などなど。行程図をいくつも作ってその日を待った。眠れないほどうれしかった。

 その日がやってきた。上野駅に向かう。じいちゃんは予定通り上野駅に降り立った。元気だった。駅近くの食堂でお昼にした。孫は「じいちゃんの行きたい所はどこへでも連れてってやる」と、手ぐすねを引いて待つ。ところがじいちゃんの答えは「オラ、どこへも行きたかねえ。お前と一緒に寝て食べりゃそれでいい。自炊で鍛えた腕前を見せてくれ。みそとワカメと煮干しはどっさり持って来たゾ」。

 孫は呆気にとられ、「じいちゃんて、そういう人だったのか」と思った。案内計画は全てご破算。八百屋と魚屋に行かなくちゃ。じいちゃんと一緒に買えばいいんだ...。そんなとき、じいちゃんはこう付け加えた。「そうだが、富士山だけは見たいなあ。いいとこへ連れてってくれや」とニコニコ顔だった。

 明くる日は絶好の日和だった。孫は去年社員旅行で行った箱根の芦の湖畔を思い立った。「スバラシイ、きっと喜ぶゾ」とどんな場所かは言わず、愛車を走らせて箱根に向かった。車中、じいちゃんは「ここはどこだ?」「この川は?」と聞くくらいで無口だった。

 芦の湖に着いた。雪を頂いた富士は裾野を十分に広げて絶景だった。じいちゃんは車から降りると黙ったまま、車の前から5、6歩進み出て富士山に向かって深くお辞儀をし、掌を合わせた。そして「神々しい、神々しい」と言った。孫は「かつて味わったことのない、衝撃的な感動の時間だった」と語る。

 爺さんは帰り際、列車のデッキに足をかけると、振り向きざま孫に向かって「しっかり働け」と言って立ち去ったのだという。

 爺さんと孫との手作りの質素な食卓を挟んで、2人の心はさらにさらに太い絆で結ばれたことだろうと思う。

 私はこの度の東日本大震災に当たって、テレビに映し出された数々の中に「富士山が見たい」と言った爺さんと同じようなタイプの老人を何人も見てきたように思う。全てを失った絶望的な仕打ちの前に、茫然と立ち竦む人々。重厚と不屈。そこに挫折と忍従を踏み越えて築き上げられた不動の生活哲学を垣間見たのだった。そして、それが取りも直さず東北魂であり、宮沢賢治の心だと思うのだ。

 各新聞の歌壇は震災を詠んだ歌で埋め尽くされている。その中から3首。
 立ち直るしかないねと言う被災者の 深き目皺のひとすじの涙(大建雄志郎)
 父母の名をかざしひとりで避難所を 回る男の子は九歳という(東 深雪)
 ぶしつけな問いにも静かに答えるは 父母を波にさらわれし人(川野 公子)
(2011年6月4日号掲載)

 
美しい晩年