記事カテゴリ:

28 東日本大震災が訓えるもの4

 不動の信念を語る宰相はなく
 怪物といおうか、肥え太りといおうか、東京への一極集中がもたらした負の遺産は、目に余るものがある。
 日本史上、武家政権の誕生、明治維新などいかなる政変があろうとも、また源平・戦国の争乱などいかなる戦乱があろうとも、さらには地震・洪水・火事・流行病(はやりやまい)・飢饉などいかなる天変地異に遭おうとも、先人たちはそれらの全てをはねのけてしたたかに立ち直ってきた。その故に山村が疲弊したことはなかったのである。

 戦後60余年間、一度も戦火を交えることなく、衣食住に事欠くことなく、太平を謳歌してきたのは日本史上例を見ないことであった。そうした時代背景の中で、あれほど元気だった山村がそれこそ音を立てて崩壊したのだった。山村の至る所過疎ならざるはなしという状況を呈したのであるが、この間、山村の復興をスローガンに掲げる宰相は出なかった。都市と山村のアンバランスを対岸の火事程度に見過ごしてきてしまったのではないだろうか。

 歴代宰相は、日本は世界唯一の被爆国であることを幾度となく語ってはきたが、平和への不動の信念を世界に向かって訴えることも、行脚することもしてこなかったのである。

 同様に電力消費の増大があたかも繁栄の象徴であるかのごとく原発の設置のみに急で、贅を戒め節電を説く宰相はなく、ごみにしても廃棄量が増えれば、埋め立てと煙突を立てつぎ焼却することのみで、減量こそ課題と説くことはなかったのである。

 日本の進むべき哲学を引っ提げて、熱く語る宰相はついぞ現れなかったのである。

 犬の餓死に思うこと
 4月16日の信濃毎日新聞1面トップに福島原発に関わって「3キロ圏 無人の町に桜 さまよう飢えた牛や犬」という大きな見出しに添えて、2つの写真が報じられた。

 避難退去命令を受けて無人となった町は森閑として人影はさらになく、大通りいっぱいに張り渡された「原子力明るい未来のエネルギー」の横断幕と満開の桜が好対照だった。写真をよく見ると、路上に2つのものが横たわっているように見える。問い合わせて調べてもらうと、手前右端のものは犬の縫いぐるみで、道の中央向こうに見えるのは餓死した犬なのだそうだ。

 餓死-。繋がれた犬ならともかく、広い福島県だ。どこへでも跳んでいって餌にありつくくらいのことはできそうなものを、それがなぜできなかったのか。

 とっぴだが、名犬といわれる犬の特性はおしなべて、次のようなのだそうだ。
 1 並外れた帰巣本能-ふるさとを忘れない。
 2 主人に忠実-飼い主への一途な従順。
 3 優しくて勇猛果敢-熊にでも襲いかかって主人を守る。

 大きな感動の物語がよく聞かれる。この餓死した犬の場合も、帰巣本能といつ帰るやも知れぬ主人を待ち続けての結果だったのか。東北老人の言動と世への処し方には、忠犬ハチ公(秋田県出身)を持ち出すまでもなく、気脈通ずるものがある。ふるさとへの深い愛着。主人への忠実-主人は先祖あるいは土着の魂と置き換えてもよかろう。そしてこのたびの震災で、誰しもが語ってやまない優しさと剛毅朴訥。これこそがこのまま東北人が持つ精神であり、宮沢賢治に通ずる世界だ。

 素晴らしいじゃないか。これこそが民族の誇りであろうし、土性骨(どしょっぽね)というものだ。見えないところで日本を背負ってきた力だ。この力に勝る警鐘と教訓はなかろうと思う。 
(2011年6月18日号掲載)
 (「東日本大震災が訓えるもの」の項おわり)
 
美しい晩年