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06 〜仏閣型に長野駅舎を改築〜

43-Kyoudoshi-0618p.jpg 1902(明治35)年に建てられた2代目の長野駅舎は老朽化が進んで利用客の増大に対応しきれなくなり、その改築問題は第5代丸山市長時代から長野市の懸案事項となっていました。藤井市長就任2年目の35(昭和10)年には改築が具体化し、名古屋鉄道局の城(たち)俊一が設計に当たりました。

 当時、国内では日本固有の文化を尊重しようとする風潮が高まっており、なかんずく郷土の文化遺産の大切さが叫ばれていました。鉄道省からも"駅舎の建築に当たって地域の神社仏閣などをモデルにした和風の建物を建てるように"との勧めがあり、高尾駅舎、大社駅舎、奈良駅舎など地域の文化遺産に即した駅舎が各地で造られるようになりました。

 設計者の城は模倣を嫌って独創性を発揮しようとして、善光寺をイメージしながらも善光寺をまったく見学しなかったといいます。

 駅舎建設は富山市の請負師・佐藤助九郎が35年4月30日、12万5000円で落札し、着工から290日で竣工する契約で、8月1日に起工式が行われました。起工式には藤井市長はじめ関係者多数が出席し、翌年春の善光寺御開帳に間に合わせるべく昼夜兼行で工事が進められました。

 竣工式は36年3月15日、長野市が主催し駅前広場で盛大に行われました。当時の新聞はこれを大きく報道し、その見出しには「新装長野驛 けふ竣工式挙行 参列者七百余名 構成美に映ゆ」とあり、本文は「仏都を象徴した豪華なローカルカラーと明朗なモダン性を濃く彩って仏閣型長野駅が近代建築学の粋を凝らして竣成した古典とメカニズムの美しい構成美が早春の空に映光と威容を発して『仏都長野市』の玄関口に相応しい色彩を多分に滲み出している」。

 竣工式では、藤井市長をはじめとする各界代表による玉串奉奠などがあり、17時から城山館で大祝賀会を開催。市内では朝から間断なく花火が打ち上げられました。

 完成した駅舎は鉄筋コンクリート造り2階建て延べ面積1328平方メートルで、高さ20メートルに及ぶ大屋根は美しい曲線を出すために木造で銅板葺きとした見事なものでした。完成した時、設計者の城は「周りの建物に対してあまりにも大きく、恐ろしいものを造ってしまった。何と言われるだろうか」と感想を漏らしたそうです。
(2011年6月18日号掲載)

=写真=市民の誇りでもあった仏閣型駅舎