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01 〜第2次大戦下の市政担当〜

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 [たかの・ただえ](1880〜1970)

 上水内郡高岡村(現飯綱町)出身。長野中学(現長野高校)を卒業し、上水内郡中郷小学校(現牟礼東小学校)の代用教員となる。1910(明治43)年から長野県庁に勤務し、その傍ら勉学に励み、14(大正3)年28歳で高等文官試験に合格。以後、下高井郡、上伊那郡の郡書記に抜てきされた。


 そして、18年からは下水内郡、東筑摩郡の郡長に任ぜられた後、26年からは長野県庁の地方課長、社会課長を歴任して、28(昭和3)年に退任。37年からと42年からの2期にわたって長野市長に就任し、第2次世界大戦下の長野市政を担当した。(『長野県歴史人物大辞典』より)


 高野市政下の主な事業や出来事を列挙すると次のようです。


 ◇37年▽10月4日 高野忠衛、長野市長に就任▽国防婦人会長野

支部発会式挙行▽市内川合新田と大豆島松岡の24ヘクタールを買収、長野飛行場建設起工式を行う▽12月 川端小学校の校舎落成式を行う(開校は同年9月2日)


 ◇38年▽2月 第11回長野スケート大会開催▽10月 長野飛行場の竣工式を行う


 ◇39年▽3月 長野飛行場、使用許可される。長野市警防団が設置される▽4月 論雷ケ谷池決壊、浅川が大氾濫▽長野市が防空重点地区指定都市となる


 ◇40年▽2月 市、紀元2600年の建国記念祭として、50団体2万人動員の愛国大行進実施▽4月 長野市立中学校の開校式を行う▽11月 仏神具の金属回収開始、善光寺の供出量10トン

 この年、長野市関係兵士の戦傷病死者41人


 ◇41年▽2月 大政翼賛会長野市支部発足

▽4月 後町国民学校が国粋主義教育を実施


 ◇42年▽4月 長野市長に高野忠衛就任


 ◇43年▽6月 長野市青少年錬成道場竣工式を行う


 ◇44年▽1月 善白電鉄が営業停止、レール接収さる▽8月 集団疎開児童、長野市に到着する▽11月 松代大本営移転工事、最初の発破

 この年、長野駅前の如是姫像を軍事供出


 ◇45年▽8月 長野地域を含む東北信各地、米軍艦載機により空襲される▽9月 占領軍ライディング代将、長野に入る


 ◇46年▽2月 長野市連合婦人会結成される▽6月 高野忠衛、3期目の長野市長就任認可される(11月に公職追放で退任)

(2011年7月23日号掲載)


=写真=高野忠衛の肖像画(長野市蔵)