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09 〜健康害し自ら辞表提出〜

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 藤井市長は1934(昭和9)年12月の就任以来、善光寺平農業水利改良事業の完成、長野駅前の拡張、長野駅舎の改築、善白鉄道部分開通などの大事業をこなし、長野飛行場の用地問題に取り組んでいた矢先の37(昭和12)年3月、十二指腸狭窄と診断され、東京の前田病院で手術を受けました。

 経過は良好ではありましたが、長期静養を要するということで、高野助役に辞表を提出し、次のような市長声明を発表しました。

 「(前文略)然しながら一面これが受諾を拒まんか市会の苦心と面目とを蹂躙するの結果を招来し市政の紛糾は奈辺に及ぶべきか全く計り知られざるものあるに思ひを致し不敏をも省ず万難を排して受諾の決意を致した次第でありました。爾来二カ年市会及び役所吏員の協力と市民の後援により大過なく職務を遂行して参りました。


 然るところ今年三月より健康優れず上京診断の結果長期に亘り静養勧告を受けた事により私の責任感は長く欠勤を重ね現職に留まる事は最も苦痛とする処でありまして市政多端の折柄市に忠実なる所以にあらずと信じここに意を決して辞表を提出した次第であります。


 既に任期半ばを過ぐる事三カ月この間何等なすなく市民の期待に添ひ得ざりしは誠に慚愧に堪えざるところであります。


 然しながら市会はじめ有力各位の御協力によりまして極めて平穏円満なる市政の運行をみるに至りました事は喜びに堪へざるところでありまして私にとりせめてもの慰めであります。幸ひにして治療功を奏し再び健康を取り戻すを得ば一市民として、吾が長野市政進展の為全幅の努力を傾けたい覚悟であります。


 茲(ここ)に市長辞任に当り本市の繁栄を祈り併せて絶大なる御後援を賜りたる市民各位に深甚の謝意を表す次第であります」


 これに対し、笠原市会議長は高野助役と同道、病気加療中の藤井市長を前田病院に訪ね、市会一致の"留任方懇請"を伝えました。しかし、藤井市長の辞意は固く、5月23日に辞任が確定しました。

(2011年7月9日号掲載)

 7代藤井伊右衛門の項おわり


=写真=藤井市長の辞表受理を伝える信濃毎日新聞(1937年4月24日付)