
二ツ柳城跡は篠ノ井の方田集落北方の丘陵中腹に位置しており、果樹園に囲まれた針葉樹の森の中にある。本郭跡は高さ数メートルの石垣に囲まれた台地上にあり、現在は二ツ柳神社の社殿が立っている。本郭の西南方面は黄金沢の浸食を利用した深い堀切の遺構が見られる。
南北朝のころまでの城主は二柳氏。一般的に山城は戦国期の築城が多いが、この城は室町時代中期に勃発した大塔の戦いのころはすでに廃城となっていた。室町幕府から信濃守護として赴任してきた小笠原長秀に対し、中央支配に反発した村上満信ら東北信の武士たちが塩崎周辺に集結し、幕府軍を打ち破り、小笠原氏を京都へ追い返してしまった。
大塔の戦いといわれ、幕府軍300余人が近隣の古要害に20日間にわたって立てこもり、食糧が果てて自害したという。幕府軍が籠城した「古要害」といわれるのが二ツ柳城であったというのが通説で、大塔合戦の舞台となったこの城は信濃の歴史に関わる特筆すべき城跡となった。
信濃の武士たちにとっては、重税や過酷な使役など年々強化される幕府の支配に我慢ができなかったのであろう。
かつて、NHK大河ドラマで「花の乱」が放映されたことがある。時代は大塔合戦より少し後の室町時代中頃、8代将軍足利義政、御台所日野富子の時世で、10年に及び戦乱が続いた応仁の乱があった。将軍継承の跡目争い、幕府管領と守護大名との権力争いともいわれ、乱の発端は複雑怪奇という。
ドラマの中では山城の国人らが幕府体制から独立し、国人だけで自治を行う「惣国」づくりがテーマとなった。
この時代、信濃においても中央支配に反発し、国人たちが立ち上がった「花の乱」的な戦いが繰り広げられたのである。御台所を演じた三田佳子さんの好演が印象に残っている。方田集落の市道を西進すると「二ツ柳神社」と書かれた石柱があり、右折すると視界に入る大鳥居の先に「古要害」と文献に登場した城跡がある。
(2011年7月23日号掲載)
=写真=大塔の戦いの舞台になった二ツ柳城跡