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08 北部戦跡 〜25年も続いた陰惨な内戦〜

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 折り紙教室や教育センター関係者の慰安旅行に参加し、貴重な見聞をすることができた。


 総勢6人で、内戦時代に反政府過激派組織タミル・イーラム(LTTE)の本拠地があったキリノッチやスリランカ北部の中心地・ジャフナを見ようというわけだ。


 ジャフナはインドとはホーク海峡を隔てて100キロの地域だ。インド亜大陸からタミル人が移住し、先住のシンハラ人と坑争や融合を繰り返してきた。近世にはスリランカ第2の都市だった。南部の住民にとっては興味深く、9人乗りのタクシーで約300キロの行程だ。


 まだ暗い朝4時に集合。だが、皆は集まらないので部屋に戻り、うとうとしたら5時半に起こされた。タクシーが道に迷ったとのこと。例のごとしのスリランカ時間で、驚くことではない。


 出発してしばらく、朝食は沿道のあずまや風の食堂で。調理の様子を拝見しながら、ゆったりとすがすがしい時間だった。途中、茶色の水草がびっしり生えた湿原で「第2次大戦の時、格好の着陸地点と見た日本軍機が着陸し、そのままズブズブ沈んでしまった」と教えられた。水草の名は「ジャパン・ジャパラ」。「日本沈没」の意味かと思ったが、語源は分からないという。


 かつてのLTTE支配地域に入ると、政府軍の監視所が点々と立ち、道路や家屋の復興事業が進んでいる様子だった。しかし、雑草の生い茂る空き地の先の灌木地帯は地雷処理が済んでいないそうで、犠牲になった牛の死骸を見た。こんな風景が100キロ以上も続く。


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 政府軍300人が戦死したテレビ塔や激戦地のキリノッチでは、生々しい弾痕の残る家屋や学校を見た。コロンボ襲撃の軽飛行機の残骸や敵戦車に手りゅう弾を投げ込んだ英雄「勇敢な息子」の自己犠牲をたたえる看板などを拝見した。農民の収穫のほとんどを収奪し、住民を盾にしたLTTE指導者の残虐な抵抗跡も見た。


 日本の幕末抗争と西南戦争、近代戦争が一度に押し寄せたような感じだ。発展途上の小国の前途はまだまだ多難だ。


 民族抗争を収拾するための国連や大国の介入が失敗、陰惨な内戦が25年も続いた傷跡は深い。復興もままならない様子がよく分かる。国際的援助は長大な橋やダム建設に注ぎ込まれているが、民族の融和こそが最優先の課題ではないかとも思う。

(2011年8月27日号掲載)


=写真=生々しい弾痕の残る民家