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31 「死」とどう向き合うか3

 「死」とは、動かなくなり、語らなくなり、冷たくなり、究極的にはこの世と決別し、やがて見えなくなり忘れられ、あらゆる動植物と同様、土に帰ることである。土とは大自然の懐というほどの意だ。

 ところで「死とどう向き合うか」ということになると、冷厳な「死」そのものとのことだけでなく、「どう生きるか/どう生きたいか」と表裏一体、相即不離(二つのものが一体となって、切り離すことができない様)のものであろうと思う。死は生の終点(ゴール)(終局・総決算)としてあるもので、生なくして死はあり得ないのである。


 世の辛酸を嘗めつくして...

 朝日歌壇にこんな歌が載っていた。

 自分史に書く程もなきわが一生無事平穏というにも遠く(稲垣寿年)

 「わが一生」と「無事平穏」との間(言外)には「されど/そうは言っても」が略されている。「いうにも遠く」からは、むしろことのほか世の辛酸をなめてきたのでないかという思いが伝わってくる。


 例えば、

・外地からの引き揚げ

・戦場で生死の境をくぐり抜けてきた

・開拓農民として入植

・ぎゅう詰めの中卒集団就職列車

などなどの挫折や試練が察せられもするのである。いまこうして晩年という、余生を数える真っただ中の世代にあって、来し方行く末を思うときしみじみとした感慨に襲われるのは、むしろ当然のことである。


 作者稲垣氏の場合は自分史を書く気になれば、その素材となるべきものはあれもこれもといくらでもあって、選択に困るのではなかろうか。歌にはつつましく謙虚な姿勢が漂っている。


 ここで「自分史」についてちょっと。当世流行の自分史という新語はいつごろからのものであったか。

 「自分史」を同じ『広辞苑』で見ても、1955(昭和30)年刊の初版にはなく、98(平成10)年刊の第5版に至って登載され「平凡に暮してきた人が、自身のそれまでの生涯を書き綴ったもの」とある。(「平凡に暮してきた...」には、?の思いもあるが)89(平成元)年講談社刊の『日本語大辞典』には載っていない。その他数種の辞典を見たが、いずれも載せていない。ついでながら古い辞典は「自分」さえ載せていない。なお「自叙伝」と「自分史」ではニュアンスに多少の差異があるようだ。


 また、自分史と言うからには、基本的には自らの手になる赤裸々な告白でなければならぬと思うのだが、昨今は個人あるいは出版社が、自分史請負業のごとく横行している風潮がある。「メモ程度に書いてくれれば、あとは上手にまとめますから」。(取材して)語らせ、それを巧みに組み立てて一冊に仕立てる類の誘いもあるようだ。自分史は他人に頼んで作ってもらうものではないのである。


晩年ならではの感慨

 過去よりも短かき未来新茶くむ(上野繁子)


 万象はすべて緑一色の好時節。小鳥の声と一緒に運ばれてくる緑の風が心地よい。品のいい老婦人が簡素な部屋のたたずまいの中に坐っている。新茶の香が漂う。


 句には晩年ならではの感慨が込められている。あらためて「短かき未来」〈老い先〉への在り方を自らに問うてもいるようだ。孤を愉(たの)しむ姿がほの見えてもくる。


 降る雪や明治は遠くなりにけり(中村草田男)

 雪降れり時間の束の降るごとく(石田波郷)

 箸とるとき はたとひとりや雪ふり来る(橋本多佳子)

の世界がダブってもくる。

(2011年7月30日号掲載)


 
美しい晩年