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21 一校一国運動(上)〜子どもに異文化体験 旅先で市長に提案〜

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 オリンピックではボランティアの活動がとても重要です。各国の人々によい印象を残すも残さないも、ボランティア次第といえるくらいの大きな存在です。当然、NAOCにとってボランティア養成は急務ですから、国際交流団体に協力要請があり、私は研修担当のボランティア委員長を務めることになりました。


 それまでも姉妹都市事業などで市長、知事、行政とは密接な関係を持っていましたので自然の成り行きでしたが、私と国際親善クラブが一般の人々に知られるようになったきっかけはこの重責だったと思います。


 試行錯誤でボラ研修

 今でこそ、例えば災害があるとすぐにボランティアの受け入れ態勢をつくるなど認知されていますが、年号が平成になって間もない当時、まだ日本にも長野にもボランティアは根付いていませんでした。


 行政職員からは「動員をかけても無償では来てくれる保証がない」「無償の人には、こちらから頼みにくい」など、ネガティブな意見が出ました。これでは、たとえボランティアが集まっても対応できません。東京から講師を呼んで勉強会をし、足元を固めてから全国各地に説明に出ることにしました。


 アメリカ研修で「意志的」「原則無償」「社会貢献」がボランティアの条件であることをきちんと学び、理論化できていたことは幸いでした。研修会場では「無償性の説明をするくせに、あんたは金もらっているんだろう」という批判も出ました。これには腹が立ちましたね。「冗談じゃありませんよ。我々民間は無報酬です」と応じました。


 大勢集めるために大会場を借り、壇上から呼び掛けるような形式にすると「偉そうだ」「動員だ」となり、失敗したなと思って次からは壇上から降りてロールプレーで自己紹介するなど試行錯誤でした。アメリカ研修で出会った大学の先生に解説書を作ってもらい、理論と実践で理解を深めるようにしました。


 一館一国運動を調査

 あちこちを全力疾走で回っていたこの時期、報道の方々とのお付き合いも増えました。当時、長野ケーブルテレビでディレクターをしていた伊藤研志さんが「広島のアジア大会で一館一国運動をしている」と教えてくれました。公民館単位でいろいろな国を応援しながら、地域の主婦を中心に公民館で料理を振る舞っているということでした。私は興味を持ち、ボランティアの調査も兼ねて広島に行ってみました。外国を応援するアイデアは長野五輪でも取り入れたいと思いましたが、実はこの時はっきり意識したのは、私の夢は子どもたちの教育だということです。感受性の豊かなうちに異文化体験をさせることは、長い目で見て立派な日本人を育てる一歩だと信じています。この気持ちが、大変な苦労をしながらも「一校一国運動」を提唱推進した原動力です。


 一方、市議会で教育長が「五輪に子どもたちを全員動員する」と発言して物議をかもしていました。ちょうどそんな折、1994(平成6)年に、塚田佐市長や教育長に同行して米国のクリアウオーター市に行く機会がありました。私は「動員などという上意下達の発想は駄目」と意見を述べ、「一校一国運動」を提案しました。2人とも賛成してくれました。市長が賛成すれば、内心はともかく教育長も賛成するしかないですからね。

(2011年9月24日号掲載)


=写真=外国からの一校一国運動見学者を案内

 
小出博治さん