
長野市内から谷街道を北上する。北国街道の旧福島宿を過ぎると千曲川の右岸堤防の道で、左右には収穫前の色づき始めたリンゴや真っ赤に熟したモモがたわわに実を付けていた。
小布施を過ぎると、城跡のある間山集落には数分で到着する。「ぽんぽこの湯」駐車場から南方の小高い山頂に真山城跡がある。四方に張り出した尾根筋に登路がある-と資料にあるので、最も明瞭な東尾根コースから登り始める。山頂までは約30分。町村誌によると「突き立たせる嶺上」と表現されているとおり、山頂近くは天空に突き立っている印象である。
築城は源頼朝が鎌倉幕府を開いてから10年後のことで、日野城主(現在の中野市小舘)高梨盛光が築城し、配下の真山氏が居城した。戦国時代になって武田軍により高梨氏が当地を追われてからは武田方の伊藤氏が城主となり、武田氏滅亡後、北信4郡は上杉氏の支配となったため、伊藤氏はこの地で帰農したという。山城の多くは戦国期のものが多いが、当城は800年の城歴を持つ最古の山城といえる。
四方の尾根筋には多数の郭跡や堀切が確認され、搦(から)め手となる東尾根は2条の大堀切で本郭を防護しているが、城跡の遺構としては原形のまま推移してきたと思われる。
本郭は30×10メートル程度の平地で、成林したスギとカラマツの混成林が夏の日差しをさえぎっていた。新野地区には「中山晋平記念館」があり、晋平先生の偉業を伝える多くの資料を展示している。
「カチューシャの唄」「波浮の港」「背くらべ」など、大正から昭和にかけて日本人の心に響く多くの旋律を生み出してくれた。中野市からは同時代に「故郷」「春の小川」「朧(おぼろ)月夜」などを作詞した高野辰之を輩出したが、北信濃の山河や田園風景には叙情的な詩や旋律を育む土壌が存在していたのではないだろうか。
(2011年9月17日号掲載)
※単行本の『山城紀行』『続・山城紀行』は8月に増刷されました。取り扱いは平安堂各店。
=写真=「ぽんぽこの湯」駐車場南方の山頂が城跡