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34 「死」とどう向き合うか6

 前回はオオバコ、菊、蛙を取り上げ、締めくくりに『徒然草』から「存命の喜び、日々に楽しまざらんや」を紹介した。今回はその続きのような話だ。


大樹-圧倒的な存在感

 植物にはまことに疎く、専門的な知識は何一つ持ち合わせないが、巨樹・大樹にはどなたもそうであろうが、私も格別に惹かれるものがあって、仰ぎ見る機会をつくってきた。


 最近訪れた巨樹で流石(さすが)と思ったのは、

・瀬戸内海大三島の大山祗(やまつみ)神社の樟(くすのき)

・千葉市千葉寺の公孫樹(いちょう)

・東京都麻布善福寺の公孫樹

・高知県大豊町八坂神社の杉

・小豆島誓願寺の蘇鉄(そてつ)

 などであったが、植生・生態学的なことはともかく、いずれも貫禄十分。仰ぎ見るその向こうには数千年の歳月を越えて寒暑に耐え、いま、ここに在すという圧倒的な存在感-。


 大樹の持つ体力と知力は、そのまま樹齢となり、樹霊ともなってひたすら天空に向かって伸び続けて神木となり、参ずる者の頭を垂れさすのである。生き抜くことの躍動はあの大樹の幹からびんびん伝わり、触らせていただくだけで感動が肚の底にずんと響くのである。大樹がそこに在るというだけで、素晴らしいのだ。


 人知の遠く及ばぬところ

 思うに樹木(森林)たちの一生は自らを切り刻み、己を捨ててまでも他のために尽くし続けてきた生涯である。


 例えば、鳥や動物を棲まわせ、蝉や虫たちの憩いの場とさせてきた。葉を茂らせ根を張って保水の役を果たして大地を守り続けてきた。木の実を動物たちに無償で与え続けてきた。建築材はむろん身を焼き尽くしてまでも、煮炊きと暖のために薪炭となってもきた。地球環境の正常化のために、緑と森の持つ比重の大きさは今さら説くまでもない。


 伝説や昔話の主ともなってきた。緑こそが安住の場であり、日本人は縄文以来その森と共に生きてきた。森の思想は生きるための舞台であり、知恵であった。緑と紅葉の饗宴ほどヒトの心を癒やし続けてきたものはない、などなど。


 さらに言えば、巨木といえどもいずれは老木となり、やがて枯死する日を迎えざるを得ないのは自明のこと。私たちはその古木や倒木のいくつかを目の当たりにし、末期の無残と尊厳に声を呑んでもきた。


 そして、さらに-。樹木は枯死してもなお薪炭となり、茸を育て苔を生やし、さらにそのうえに種を宿し、老いさらばえた肉体を提供し切って土に帰るのである。樹木は無償の奉仕に徹するために、この世に生を受けてきたような存在だ。枯死しても自らの余燼を掻き立てて、他のために尽くして果てるのである。死んでもなお、働き続けているのだ。樹木の生きざまは、そのどれ一つ取ってみても、ヒトの遠く遠く及ばないものばかりだ。むしろ、ヒトの歴史はその樹木と森を傷め続けて今日に至っている。


良寛と宮沢賢治

 大樹や樹木に引き比べ、人間社会はせせこましく我利我利亡者(がりがりもうじゃ)があふれているのが実状だ。だが、そんな中で「いや、立派な人もいるゾ」という声が聞こえてもくる。まことにそのとおり。世にいう「偉い人」がそれだ。


 良寛や宮沢賢治だったら、誰しも異存のないところだ。その生涯は生前も死後も、そして180年、80年を経た今日なお清貧の風を送り続け、人の心を癒やし続けてきた。"その人の足あとふめば風薫る"(正岡子規)。今日なお、出雲崎、花巻詣では後を絶たないのである。「師(良寛)ト語ル事一夕スレバ、胸襟清キ事ヲ覚ユ」も「サムサノナツハオロオロアルキ」も口先のことではなく、生活そのものであった。


 俗な言い方をすれば良寛も賢治も、今なお地域の稼ぎ頭で、この2人がいなかったら町は火の消えたようになる。死んでも働いてくれているのである。

(2011年9月24日号掲載)


 
美しい晩年