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07 〜再選されるも公職追放に〜

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 終戦直後の1945(昭和20)年10月4日、連合国最高司令官総司令部(GHQ)は、戦争犯罪人容疑者の逮捕に乗り出しました。そして公職追放については、46年4月の選挙から立候補者の資格審査を国から県・市町村にまで広げました。


 公職追放とは、公共性のある職務に特定の人物が従事するのを禁止することです。日本では戦後の民主化政策の一つとして、46年1月のGHQの覚書に基づき、議員・公務員、その他政界・財界・言論界の指導的地位から軍国主義者・国家主義者など約20万人を追放しました。


 公職の中には、もちろん市町村長も含まれていました。具体的に誰が公職追放に該当するかは、公職適否審査委員会が判断しました。


 長野市においては、46年4月19日、高野市長が任期満了となり、次期市長選には高野の他に松橋久左衛門ら3人が立ち、改選は旧法(市会議員のみの投票)で行われました。


 その結果、高野が最高点で再選されましたが、高野は「公職適否審査」の対象とされ、市長就任の確定は審査の結果待ちとなりました。


 2カ月後の6月21日、いったん「就任認可」の指令があり、24日に初登庁して執務を開始しました。ところが、5カ月後の11月11日に公職追放が決定し、高野市長は内務大臣に辞表を出して辞任しました。


 高野市長の辞任後、小出広善助役の任期も1カ月後の12月25日に満期となるため、そのまま放置すれば市長は職務管掌となり、旧法により監督官庁(県)派遣の官吏が市長職務執行役となることになります。市会はそれは望まず、代理市長によるか、職務管掌による代理助役によるか対策を練ることにしました。


 そして12月26日(助役の満期翌日)、松橋久左衛門が臨時市長代理者として、第1回公選までの間を条件に就任しました(『長野市誌第15巻』)。

(2011年10月22日号掲載)

 8代高野忠衛の項おわり


=写真=GHQの長野軍政部が置かれた若里の鐘紡長野工場