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06 〜経済統制と銃後活動に力〜

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 高野市政下の1938(昭和13)年5月からは「国家総動員法」が施行され、また電力国家管理法が公布されて、重要物資から生活必需品に至るまで経済統制が急ピッチで進められました。


 3月から6月にかけてガソリン、飼料などが配給制となり、9月には石炭、11月には鉄くず・銅・鉛などが加わりました。またゴム製品、皮革、金属品、木材をはじめ、あらゆる物品の公定価格が決められました。


 その上、40年4月からは米、みそ、しょうゆ、塩、マッチ、砂糖などの生活必需品に配給・切符制が導入されました。


 米は一人一日2合5勺〜3合ずつ配給する消費規制が取られました。市の米穀小売商組合では旧市を4、新市を3の統制区に分けて共同配給組合を設立して配給する体制を取りました。


 これによって市内の180軒の米屋のうち、大麦・小麦の政府買い上げで雑穀売りだけでは商売が成り立たないということで、閉店した店が20軒以上にも達しました。麺類も節米のために9月から配給制となり、市は長野市麺類配給統制組合をつくってこの仕事を遂行しました。その他の配給品目では小麦粉、米糠、糯米(もちごめ)などが挙げられます。


 北石堂町の全世帯450戸では、国防婦人会が中心となって共同炊事場をつくり、夕食の米の代わりにうどん、パンなどを用いる節米運動を実践する例も見られました。


 食糧問題以外では「家庭国防」や「経済戦争」のスローガンの下に貯蓄奨励や消費の節約、代用品の奨励等が強調され、銃後を守る女性たちが大きな役割を果たしました。


 女子青年団では古雑誌や古新聞、木綿、金物などの廃物を集め、国防婦人会は綿くずや毛くず、玩具、水筒、飯盒(はんごう)、弁当、鍋、釜、歯磨きチューブなど、金属類をはじめとしてあらゆる生活用品の廃物が回収されました。


 その他の銃後活動としては、高野市長を会長とする長野市銃後奉公会の実践活動がありました。この会は39年4月に設立され、出征軍人の武運長久の祈願、慰問袋の発送などを行いました。

(2011年11月15日号掲載)


=写真=戦時下の衣料切符