
「鳴子清水」とも呼ばれる善光寺七清水の一つで、地元・諏訪町では「なるこさん」が愛称の産土神(うぶすながみ)だ。
道端の社殿は1坪(3.3平方メートル)あるかなしかだが、扁額は「鳴子大神」(前長野市長・塚田佐筆)と麗麗しい。
氏子は諏訪町中心に60軒余だが、秋の例大祭(9月23日)がユニークだ。午後5時前に突如、車道のセンターラインまでが"拝殿"になる。並んだパイプ椅子には、町内の役員がずらり。赤い渋団扇(うちわ)を持った若衆が片道1車線の交通整理を始める。
「いろいろとつらい、悲しいことが続いた時節ですが...この青空のように明るく、楽しく爽やかに神事を行いますので、礼拝・拍手ご一緒に」と神職が祝詞を奏上する。
「畏み畏みもうさく、掛けまくもかしこき弥都波能売神(みづはのめのかみ)の大神さま-。この地に災厄がないように、みんな健康長寿で商売ますます繁盛しますよう...」
「祭神は水神さんです。川も湧水も、水に含まれる養分も豊作に欠かせないもの。水分神(みくまりのかみ)として農家は公平な水配分を念じたのです」とは神職の解説だ。
ミヅハノメの神さまとは何者?
「日本創生の2神はイザナギとイザナミで、アマテラスほか目や鼻、糞から多くの神を産みましたが、尿(ゆばり)から産まれたのが弥都波能売神。谷間を水這う、水走るが語源で女性のお小水から連想して名付けられた神名です」というのが民俗学者の解説だ。
広島の厳島神社、京都鞍馬の貴船(きふね)神社、県内では千曲市の須須岐水(すすきみず)神社も、同じように水神が祭神で、由緒、御利益は数多い。鳴子大神は祭典当日の前後に必ずお湿り(少雨)がある、といわれる。今年も台風の余波で昼過ぎまでにわか雨が断続していたが、夕方になって快晴となった。

一帯は、かつて「鳴子耕地」と呼ばれた畑作地帯で、善光寺の宿坊・旅館に野菜を供給していた。近辺に県庁、刑務所、試験場、税務署、図書館、学校が建つようになり、官員の仕事に応えていろいろな商売が成り立つようになった。
古い商店は明治・大正からの老舗だ。市立図書館近くの漢方のヘビ屋さん、銭湯・亀の湯の向かい辺りと言ったらすぐ分かるだろう。
江戸時代には、ここ(北国街道)を通り掛かった国学者・菅江真澄(すがえますみ)が「路のかたわらの井は、戸隠山にて人の語りたる、鳴子清水こそ 夜な夜なは月やすむらん やがて又 秋も半ばに なるこ井の水」と詠んだ。
=写真=車道を使って行われる神事