
「一校一国運動」は国内どころか世界的にも高く評価されていることを、地元の方がご存じないように思います。長野オリンピックで各小学校が特定の国の応援をした一過性のイベント程度に誤解している人もいるかもしれません。だとしたら、非常に残念ですね。
私が大事にしているのは「継続性」です。オリンピックという国際化の大きなチャンスに子どもたちが未知の人々と知り合い、その後も相手国の子どもたちと相互交流しながら、さらに理解を深めていくのが当初からの目的です。いずれは坂本龍馬のような人物が長野から出てくれたら、という壮大な夢のある事業です。戦争で私自身がかなえられなかった夢を子どもたちに託したい、そして平和に貢献してほしいのです。
冷たかった校長たち
学校の取り組みですから、教育委員会を通じ校長会で説明させていただくことにしました。しかし、いきなり挫折感を味わいました。校長先生方は横を向いたきり、私と視線を合わそうとしません。「先生方は忙しいのに、厄介な仕事を持ち込まないでくれ」「言葉も通じないのに何ができるんだ」という心の声が会議室に充満しているようでした。
「道楽」と揶揄されても国際親善クラブの活動にのめり込んできた私が、その程度で諦めるわけがありません。苦手な理工系科目を必死で勉強して卒業できた大学時代の経験も、壁にぶち当たったときの励みになりました。また、自分だけ違う意思表示をすることを避けるのが日本人の特徴ですから、本心では関心のある先生もいるに違いない、と思いました。
私は少し作戦を変え、区長さんやPTAなど地域からの理解を得るよう努めました。子どもたちのための活動ですから賛同者が現れ、最終的には全市的な取り組みに発展させることができました。市には当時、1校当たり年間7万円の国際交流予算を五輪終了後も継続して付けてもらうようお願いしました。
海外メディアが関心
この運動の反響はすごかったですね。特に海外メディアの関心が高く、オリンピック期間中に取材を受けない日はなく、連日子どもたちの様子が報道されました。おかげで私はすっかり有名になり、この運動を研究する筑波大学の真田久教授は私を「嘉納治五郎のようだ」と評してくださっているくらいです。
嘉納さんというのは柔道の創設者であり「日本の体育の父」とも呼ばれる教育者で、アジア初のIOC委員に選ばれて日本がオリンピックに初参加する道を開いた人でもあります。真田教授は、嘉納さんの「スポーツを通じた国際交流」「柔道を通じた人間教育の実践」の現代版が一校一国運動だとの見方です。本質が理解されるのはありがたいですね。
運動の意義はまさにここにあるのですが、現在は残念ながら危機にひんしている、と言わざるを得ません。学校の先生の熱意に支えられての活動ですから、当初から学校による温度差が大きく、また教育委員会の方針にも左右され、予算面も厳しくなっています。
他方、交流相手の国の学校では日本語を学ぶ生徒が増えるなど、相手国の子どもたちへの影響が大きくなっています。これは私にも予想外の波及効果で、ここまで進化してきた活動を頓挫させてはなりません。今の私の一番の願いは一校一国運動の継続です。
(2011年10月1日号掲載)
=写真=インドの学校と交流する川田小学校で