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23 英国に尽力 〜アタッシェを拝命 名誉大英勲章も受章〜

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 私の人生は長野オリンピックで花開いたといえます。国際親善クラブのボランティア活動が五輪のボランティア委員長につながり、私が発案した「一校一国運動」で内外から注目され、それだけでも忙しかったところに英国オリンピック委員会から「アタッシェ」の依頼が舞い込みました。


 英国オリンピック委員会の団長と秘書が直接、イギリスから来ることになりました。そこで「日本にはお見合いという文化があり、会って嫌なら別れる」と断る可能性を示唆した上で会うことにしました。当時は今よりずっと若いとはいえ、数えで70歳。これ以上の重責を担う自信はなかったのです。


何でもやれる人材を

 「アタッシェ」はフランス語由来の言葉で、「大使館などから派遣される専門職員」というのが本来の意味のようですが、この時の役目は「小使いさん」。何でもやってくれる人材が欲しいようでした。


 夫婦同伴で来るようにとのことで、二人で犀北館の部屋へ行くと、妻へのプレゼントが用意されていました。会見で私が「秘書が必要」と言うと「3人用意してある」。「3人とも気に入らなかったら?」「また探す」。「できないことは断っていいか?」「結構」。


 こちらの条件を全部のまれたら断る理由がありません。彼らが求めていたのは、行政と経済界に顔の利く人でした。これを満たしても勤め人では自由に動けず、遠方に在住だと無理。それで私に白羽の矢が立ったのでした。


 アタッシェを拝命してからの忙しさは、いつ寝ていたのだろうと思うくらいです。当時から小布施堂に勤務していた米国人のセーラさんを、社長の協力があって秘書にできたのは幸いでしたね。彼女は非常に優秀で、常にこちらの期待以上の成果を上げてくれました。携帯電話28個の手配を頼まれると、「任せて」と一人で交渉に行き、無料で借りられる手配をしてきたり、アイデアと行動力に「ただ者じゃない」と感じたとおり、その後どんどん頭角を現しました。


 オリンピック期間中もアタッシェの任務で忙殺されました。イギリスから訪れる賓客のアテンド、夜はパーティーなど気を抜く暇がありません。私は酒を全く飲まないので体がもったようなものです。


 さすが英国と感じ入ったのは服装の指示です。各種シャツや上着、ジャケット類はもちろん、ネクタイから靴下に至る小物まで全て含めると100を超える衣類が大使館から自宅に送られてきて、どれとどれをコーディネートするかの細かい指示が毎朝電話で入りました。

気さくなアン王女


 アン王女が観戦にいらした時、「アタッシェを務めさせていただき光栄です」と申し上げると「ボランティアなのに、お礼を言うことはありません」と気さくに応じてくださいました。王女の新幹線の席の周囲を、セキュリティーのために全部押さえておくのもアタッシェの役目でした。


 「大英帝国オリンピックアタッシェ」のIDカードを下げていると、オリンピック関連施設の全てがフリーパスだったのは痛快でしたね。こんな経験は誰もができるものではありません。いろいろ勉強になりましたし、引き受けてよかったと思っています。


 2000(平成12)年には、エリザベス女王から名誉大英勲章を叙勲されました。アタッシェの功績かと思うのですが、叙勲の理由説明はありませんでした。

(2011年10月8日号掲載)


=写真=英国大使公邸で名誉大英勲章を伝達される

 
小出博治さん