
70歳ともなれば多くの方は現役を引退する年齢でしょう。ところがオリンピックで知られるようになってしまった私の場合、ありがたいことにますます忙しくなりました。「一校一国運動」については全国各地から講演依頼が入り、また若者たちと深く交流するきっかけにもなりました。
一つは横浜の青年たちとの間でオリンピックのころから始まった「小出塾」です。横浜市が国際交流分野での若者のボランティア育成に予算を付けたもので、横浜市は進んでいるなあと感心しましたね。毎年、飯綱高原のアゼィリアに男女約20人ほどが集まり、膝を突き合わせて話し合ったり、国際親善クラブのメンバーやゲストを迎えて経験や考えを話したりしました。なんと12年間も続いたのですが、行政からお金の出ている活動は、それがなくなるとストップしてしまうのが常で、残念ながらこれも同じでした。
俺は長野の竜馬だ
私が彼らにいつも言っていたのは「横浜の竜馬になれ、俺は長野の竜馬だ」ということです。若者たちには、そのくらいの大志を抱いてほしい。私の一番の願いですね。国際的な分野に進んだ若者も何人かいて、小出塾の影響もあったのならうれしいことです。私宛てにメッセージを寄せ書きしてくれた色紙は宝物の一つとして保存してあります。
これまで世界各国を見てきたわけですが、その中でつくづく感じたのは「ちゃんと学校にも行けない、読み書きのできないような子のいる国が力を持てるはずがない」ということです。とにかく教育が大事です。日本の子どもたちには感受性の豊かなうちに外国を体験して、自分の力で直接何かを感じ取ってもらいたい。私が一校一国運動に込めた願いは今も変わっていません。
テレビ信州で16時半から生放送している情報番組「ゆうがたGet!」への出演依頼が来たのもオリンピックの後でした。初代コメンテーターの一人として2000年から出演しました。この時はテレビの影響力の大きさを知りましたね。知らない人から声を掛けられたり、音信不通になっていた方から連絡を頂いたり、と様々な反響がありました。
中でも同世代以上の方が、私のように70歳過ぎても現役でバリバリ活動していることから活力を得てくださったようなのはうれしいことでした。病を得ているという中学の同級生の樽田修さんから「元気をもらう。正座して拝見しています」という手紙や電話を頂いた時は私の方が恐縮し、感動しました。
80前まで9年間出演
様々な話題について手短に気の利いたコメントを生番組で発するというのは、緊張しますが非常に勉強になりました。人との会話や講演などにも、この経験が生きていると思います。テレビ出演は、80歳目前までの9年間続きました。国際親善クラブ会員の韓国人女性チェ・ヨンヒさんをコメンテーターとして紹介したこともあります。
夢に向かって真っすぐに歩むことのできた人に比べると、随分遠回りした人生だと思います。しかし、民間外交官として平和に貢献したい、子どもたちが広い視野を持つための人格育成教育を大切にしたい、という夢は結果的にはかなったのですから、人生って面白いものだと感じているところです。
(2011年10月15日号掲載)
=写真=「ゆうがたGet!」の最終収録日に