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01 〜県知事を経て長野市長に〜

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 「いしがき・くらじ」(1880〜1942)


 山形県生まれ。1910(明治43)年、東京帝国大学法科政治学科を卒業、文官高等試験に合格。警視庁警部、神奈川県警視、福島県警察部長、鹿児島、青森各県内務部長を経て、29(昭和4)年長野県内務部長に就任、続いて長野県知事に任ぜられました。


 知事在任中は、世界恐慌のあおりで窮地にあった長野県経済の打開が課題に。28年の臨時県会では、不況下の農山村振興のために土木事業、用配水路改良事業の助成などが論議されました。


 また、この年に知事を委員長に満州愛国信濃村建設委員が選任され、後に農村厚生を目的に大量の満州移民が試みられるようになりました。ほかには信濃銀行問題、産業組合、営業製糸などの救済策、33年の「教員赤化事件」(二・四事件)の善後策なども課題でした。長野県から台湾総督府警務局長に転出、退官後41年10月、太平洋戦争の開戦直前に長野市長に就任しました。


 同年12月8日には、石垣市長の名で米英宣戦布告について内閣に決議文を提出。それから約5カ月、開戦直後の市政を担当しましたが、病気のため42年4月に退任し、その後は市長臨時代理者の高野忠衛が2期目の市長に就任しました。


 石垣市政下主な出来事は次のとおり。

 ◇41年 ▽12月8日 太平洋戦争開始に当たり市議会特別決議を採択▽9日 長野市民の戦争遂行の宣誓大会▽26日 正月用もち米など特米配給▽この年、千曲川改修工事終了▽長野飛行場、陸軍に接収される▽善光寺仲見世、大門町から駅前までの商店の看板撤去。ローマ字看板は強制撤去となる


 ◇42年 ▽1月1日 市翼賛壮年団、市中愛国行進。大東亜戦争必勝大会を開催▽3月17日 長野傷痍軍人共同作業所、中御所裾花河畔の敷地で地鎮祭を行う▽3月 市青少年団の錬成農場、鐘紡敷地内設置が決まる

(2011年11月5日号掲載)


=写真=石垣倉治の肖像画(長野市蔵)