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02 〜開戦の翌日 市民宣誓大会〜

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 太平洋戦争開戦の日の翌日、1941(昭和16)年12月9日、長野市は日米英戦に対する市民宣誓大会を開催しました。


 大会に当たって、各区長は隣組長を通じて各戸1人以上必ず参加することを指示し、参加人員1万を予定した大会でした。


 朝6時半までに市民が城山国民学校運動場に集合し、6時40分から開会しました。

 式次第 

(1)開会の辞(岡田助役)

(2)国民儀礼

(3)宣戦大詔奉読(石垣市長)

(4)訓示

(5)宣誓文ノ決議朗読(笠原市会議長)

(6)宣誓文書発送(東条総理ほかへ)

(7)聖寿万歳三唱(石垣市長)

 宣誓文畏ク

 モ米英ニ対

 スル宣戦ノ詔勅 渙発セラル 茲ニ長野市民宣誓大会開催スルニ当リ 官民一体時艱ヲ克服シ 決死奉公聖業完遂ニ邁進センコトヲ誓フ

  昭和十六年十二月

 九日 長野市民大会


 10日の「信濃毎日新聞」は長野市民大会の様子を「誓ふぞ決死奉公! 今暁、長野で市民大会」の見出しで報道し、「石垣市長宣戦布告の詔書を奉読、市民に不退転の決意を促し、長野連隊区司令部母袋中佐また決然帝国軍備の盤石を叫んで銃後必勝の信念の堅持を求め、(中略)宣誓文を参会 一万の市民拍手のうちに議決、直に東条首相陸軍大臣、参謀総長、軍令部長に宛てて申達、やがて石垣市長発声で万歳三唱し、市民の意気を示した」と報じました。


 一方、政府は12月13日、官国幣社に勅使を派遣しました。長野市でも、市内神社へ供進使を参向させ宣戦報告を執り行いました。

 対象になった神社は、安達神社、加茂神社、諏訪神社、武井神社、信濃護国神社、駒形嶽駒弓神社、飯縄神社、弥栄神社等でした。


 こうした動きは翌42年にも継続されていきました。長野市翼賛壮年団は元日の10時30分、駅前末広町に各分団ごとに集合し、降りしきる雨を突いてラッパ隊を先頭に3000人の団員が中央通りを行進し、城山国民学校校庭で大東亜必勝団員大会を行いました。(『長野市誌第15巻』)

(2011年11月12日号掲載)

 9代石垣倉治の項おわり


=写真=対米英開戦を報じる信毎号外