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122 栗田の石碑群 〜住宅地に7基が勢ぞろい〜

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 「ギョギョ! これはなんだ」。思わず車のブレーキを踏んだ。栗田吉原地籍の小路の交差点。各種石碑7基が勢ぞろい=写真。住宅地の一角を大きく三角形にカットして並ぶ珍しい光景だ。


 道路を挟み屋敷を構える青沼道夫さんに伺った。戴いた名刺には「栗田まちづくり協議会 歴史文化研究会会長」とある。


 だが、個々の石碑の詳しい出自は分からないという。町内で訳知りのお年寄りが寝込んでしまったためだ。


 そこで私が勝手に解釈してみた。左端にあるのは常夜灯。今日の街路灯で、地域住民が油やろうそくを交代で提供した安全・警備のための絆といえよう。


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 次の背の高い石祠(せきし)は蚕神。当地は稲麦の二毛作のほか、養蚕が稼ぎだった。お蚕さまが一番怖いのは病気の伝染。時には生育中の蚕が全滅する。遠く数村先で変事がないか、背伸びして監視をしていたように見える。


 3番目の自然石には「奉納経大乗妙典供養塔 天保十一年(1840)」とある。経文を納め、石碑を建てて信仰心の証しとした。その先は庚申塔、道祖神、二十三夜塔と続く。


 右端の石塔には「奉納経日本廻国神社仏閣供養塔 天保十四年」と刻印されている。


 そこからは、こんなドラマが読み取れる。


 5月初旬の某篤農家。囲炉裏に集合したのは、赤子を含め家族郎党10人余。「わしら2人は念願の霊場巡りに行くことにした。幸い田植えもお蚕さんも順調だ。取り入れ時期までには帰る」と50歳代の老夫婦が宣言した。


 「親父、黒船が来たりして世の中が騒がしい。物見遊山なんて心配でならねえ」


 「大丈夫だ。農作業の始末はこの帳面に詳しく書いてある」


 種まきや収穫の時期、天候の判断などを書き連ねた農事メモを渡された息子は納得した。そろそろ父母も人並みに隠居の年頃なのだ...。


 老夫婦は上田から鳥居峠を経て日光へ。さらに筑波山に足を延ばし、千住から浅草入り。上野・日本橋の江戸見物の後、神奈川の大山(おおやま)から鎌倉の八幡宮でUターン。品川や新宿の喧騒を見て板橋から中山道へ。帰路、秩父三十三番札所や妙義山神社に参拝し、険路の碓氷峠から無事帰郷...と推測される。


 関東一円の寺社巡りをして帰郷後、各地で入手したお経を納めた供養塔と思われる。


 青沼さんは夏目市長時代の市役所で、駅西口の区画整理事業に奔走。退職してから「仲間と地元の歴史を掘り起こしている」という。

(2011年11月5日号掲載)


 
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