
太陽を反射して鏡のように光るエムウェーブが東南に控える地で、広大な神域を誇るのが長池(ながいけ)神社だ。三陽中学校が用水路を隔てて西隣りにある。
境内に林立する古木の間には、昨年の御柱がそそり立つ。市内に数十社ある諏訪社の一つで、7年目ごとの御柱祭が盛大なことで知られている。戦前は近くの古牧小学校の学校行事で、児童が華を添えた。今日でも御柱を曳く主役は子どもたちだ。
今は境内の紅葉が見事で、通りすがりに思わず参拝する人も多い。驚くのは、参道の左右に畏(かしこ)まる狛犬だ=写真下。地球儀のような灯明をしっかと踏まえる石像はなかなかのもの。これだけ迫力ある作例は珍しく、一見に値する。代々の氏子の財力を反映している。
社の伝承は数々あって、諏訪大社との由緒は「天文2年(1533)裾花川の洪水の時、2本の御柱が流れ着き、住民がこれを拾い祠を造った」という。桃太郎物語も一例だが、古来、日本ではタカラモノは川の上流から流れてくるのが常道だ。
裾花川は善光寺門前街を乱流して養分を集め長池の田んぼを潤し、一帯は穀倉地帯となった。乱流の川筋跡が残り、長い池となったのが地名の語源と思われる。

創建の由緒は不明だが、鎌倉幕府の知行状(ちぎょうじょう=領地の割当文書)に「長池一方和田石見...」の字句があるので、東和田(長野運動公園付近)の豪族・和田石見入道(わだいわみにゅうどう)の領地だったことがわかる。和田氏は諏訪大社上社の頭役(とうやく)=祭事を司る重役の一人だったことが、諏訪の史書「守矢(もりや)文書」に記されている。
和田氏といえば、女流日記文学の名作『とはずがたり』のヒロイン二条が31歳で出家して善光寺参拝の後、春から夏の初めまで館に滞在したことで知られている。
『とはずがたり』は1938(昭和13)年に宮内庁書陵部で発見された国文学の金字塔だ。天皇家の子女がひそかに読んだ愛欲文学でもある。14歳の美少女が後深草上皇と結ばれ、宮廷での記録が生々しい。安価な文庫本が各種刊行され、女流作家が現代文への翻訳を競っている。男女の機微を学ぶことができる。
(2011年11月19日号掲載)
=写真=昨年の御柱がそそり立つ境内