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02 〜「分県・移庁」を奇策で阻止〜

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 1948(昭和23)年1月14日夜の県庁舎一部焼失を機に分県・移庁論が中南信選出県議の間に広がり、4月1日に「分県に関する意見書」が県会に上程されることになりました。


 南信側としては1876(明治9)年以来、70有余年にわたる悲願の決戦の日。南北議員の数は両者とも30で同数。北信の松橋久左衛門が議長席に着くと30対29で南信が勝つと信じていました。


 この日、北信側としては知事調停案(ルールの尊重)をのんでの審議となれば、3月19、20日のような登院妨害行動や議場での傍聴人による「信濃国」大合唱などという戦術も取れず、事態の推移を見守るしかありませんでした。それでも県警は万一の場合に備えて警官150人を動員し、議事堂周辺を警護しました。


 しかしながら、開会直前になって意外な出来事が発生しました。松橋議長の病気欠席届が議会事務局に出されたのです。


 議長欠席で小松直治副議長(南信出身)が議長席に着くことになり、それでも南北信の議席数は29対29で同数でした。可否同数のときは議長の1票で決することになるため、南信側は意気揚々でした。


 いよいよ午前10時開会、松橋議長が欠席したほかは全員出席。小松副議長の開会宣言に続いて分県意見書案が事務局から朗読され、北原金平議員が提案理由を説明。歴史、経済、産業、政治、交通上からも南信と北信に分県する必要性を強調。そのあと質疑討論に入り、南北両議員が次々と立って論戦を展開しました。午後2時半、意見書の賛否を無記名投票にかけ、開票作業は3時40分に終了しました。


 やがて議会事務局長から開票結果の報告を聞く小松議長の顔は見る間に深刻な表情に変わりました。議長はなかなか開票結果に納得せず、それを理解するのに時間がかかり、定刻を過ぎた4時1分前にようやく小松議長から次の報告がなされました。


 「本案賛成29票、反対26票、白票3票で、賛否いずれも法定得票数に達しないため本案は可決否決いずれとも決しません」


 ここに分県意見書は不成立となりました。これは「北信側白票戦術」と呼ばれ、29対29の可否同数にしないために、あえて北信側から3票の白票を出したとされます。分かってしまえば何のことはないという意味で"コロンブス戦術"と呼ばれました。

(2011年12月24日号掲載)


=写真=県会閉会でバンザイをする北信側県議(1948年4月2日付信濃毎日新聞)