
伺去を「しゃり」と読める人は、長野市民でもどのくらいいるだろうか。覚えてもすぐ忘れてしまう人が大半だ。全国でも難読地名の上位に入るだろう。
地元の主婦Mさん(63)は福岡育ち。四国生まれの夫の転勤で長野に来て26年、この地に転居して16年になる。市街地を見下ろす景色と環境が気に入り、分譲物件を購入。最初、住所表記を見て目が点になったという。「なんて読むの? どんなところ?」-親戚・友人の質問が相次ぐのにも閉口した。
後に地元の史誌刊行委員会のメンバーになったので、今ではスラスラと解説できる。
「語源の一つは西行さん伝説です。西行法師が善光寺に参拝後、飯縄山に詣でた時、-あと去(しゃ)りて権現の峰をおろがめばうしろに拝す如来の御堂-と詠みました」
後ずさりしながら飯縄山を拝んだら、背後には善光寺の本堂が見えた。曲折する山道だから、現地を歩くと実感する。西行の来訪伝承は戸隠にもあるが、これはいささか出来過ぎた由緒だ。
「二つ目は、仏舎利(ぶっしゃり)です。仏教伝来で舎利=仏陀の遺骨を供養した土地ともいわれています。集落内に伺去、伺去原(しゃりっぱら)、伊去田(いさりだ)などの地名が集中しています」。だが、その理由は不明だ。

伺去地区の氏神が高台にある伺去神社で、五穀豊穣を司る保食神(うけもちのかみ)が祭神だ。江戸時代前期の慶安年間に移設したとの記録があるが、発祥は縄文・弥生にまでさかのぼるだろう。境内から樹間を透かせば長野市街が一望できる。
何よりの自慢は「近郷一の長い石段」だ=写真。総計192段。1880(明治13)年に総工費180円余で、50人近い氏子が協力して完成した。ちなみに戸隠宝光社の石段は鳥居から190段だ(下部を加えた総計は270段)。香川県の金比羅宮(こんぴらぐう)1300段余にはかなわないが、急こう配に目がくらむ。
場所は、真光寺ループ橋東側のリンゴ畑地帯。ループ橋からは穴あきの浅川ダムの建設現場も見降ろすことができる。戸隠や飯綱の帰途、寄り道するのもお勧めだ。