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46 英語には目印がない 〜単語の並ぶ「位置」がすべて相互関係と位置精密にたどる〜

 インド・ヨーロッパ言語の中でも英語が難しく感じられる理由は、英語の文法が、単語の並ぶ「位置」がすべて(といってもよい)言語だからです。


 「太郎は花子を愛する」という文の「花子を」と「太郎は」の位置を入れ替えて、「花子を太郎は愛する」と書き換えても、文の内容は変わりません。それは、日本語には、「助詞(て、に、を、は)」という「目印」が付いているからです。


 文の「誰が、何を、どうした」という部分の「誰が」に当たる部分を「主語」といいます。「が・は」は「花子」が「主語」であることを示す目印なのです。この目印が付いているために、「花子は」という部分が、文のどこに置かれても、その部分が主語であることをほぼ間違いなく読み取ることができます。


 インド・ヨーロッパ語の多くは、日本語の助詞に役割が似ている「語尾変化」という目印を持っています。例えば、ラテン語で「グレゴリーはマリアを愛する」は「Gregorius   amat Mariam.」となります。「Gregorius」の「-us」はこの語が「主語」として使われているということを示す「目印」です。逆に、「Mariam」の「-m」は愛するという行為の相手を示す「目的語」として使用されていることを表す目印です。これらの目印が付いているために、この文を「Mariam amat Gregorius」などと単語の位置を入れ替えても、意味は変化しません。


 ところが、現代の英語には、一部を除いて、この「語尾変化」という構造上の目印がありません。同じ文を英語で表現すると、「Gregory loves Mary」となりますが、「Gregory」と「Mary」をひっくり返して「Mary loves Gregory」とすると、「マリアがグレゴリーを愛する」という逆の意味が成立してしまいます。ということは、英語は、それぞれの単語が「どの位置に」「どの順番で」置かれているかを見誤ると、内容を取り違えてしまう恐れがあるのです。


 結婚式の集合写真で花嫁の母親を探すには、花嫁の右側の「女性」で「留め袖」を着ている「二人目」を見れば大体当たります。「女性」「留め袖」が目印になるのです。しかし、全員が同じ服装で、性別も分からないが、新郎だけは分かる、と仮定すると、新郎から右に一人ずつ「花嫁」「仲人夫人」「花嫁の父」そして、「花嫁の母」というように、丁寧に人間の関係をたどっていかなければなりません。一人でも「関係」とその「並び」を取り違えると花嫁の母にはたどり着けません。


 英語はこの、目印のない集合写真と似ています。単語の相互関係と位置を、文の仕組みの理解に基づいて精密にたどっていくことで、ようやく文の正しい意味が現れてくるのです。

(2011年12月24日号掲載)

 
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